カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

コロナ解禁後初の四旬節ミサ

2023-03-19 21:48:58 | 教会


 今日のミサはコロナが事実上3月13日に解禁されたあと初めてのミサであった。四旬節第4主日で、10時のミサは人数制限が大幅に緩和された。私どものこの教会は地区別に9組に別れているが、組は今回新たに大きく2つに分類された。今日は5〜9組の出席が許された。ミサに出席が許されるというのも変な話だが、ミサに預かっても良いというのはありがたいことだ。
 教会の座席もすべて開放され、誰がどこに座っても良いことになった。参加者は100人くらいはいたのではないだろうか。人数も多かったので整体奉仕者もおられた。
 マスクは全員がしていた。神父様もフェイスマスクをしてお説教をなさっていた。コロナの全面解除というわけではなさそうだった。それでも久しぶりに他の組の人と一緒にミサに預かれるわけだから、ミサ後のおしゃべりはあちこちで花が咲いていたようだ。復活祭後には主任司祭も替わると教区から発表されており、2日の枝の主日の準備もあって、教会委員会や聖歌隊は忙しいようだ。やっと教会に日常が戻りつつある印象を受けた。
 「ミサの式次第」の中のお祈りの文言もかなり変更があり、とても覚えきれていない。「式次第」が手元にないとついつい以前のお祈りが口にでてしまう。やはり、「またあなたとともに」はなじめないし、キリエで「主よ、いつくしみをわたしたちに」もなにか落ち着かない(1)。グロリアでも困った。やっと覚えた長い賛歌なのにこれだけ変更されると手も足も出ない。賛歌は4つとも歌詞も決まったようだが、聖歌隊は覚えるのにさぞかし大変なことであろう。使徒信条も同じだ。「主は聖霊によってやどり・・・」で「深く礼をする」ようだがタイミングがあわない(2)。などなど戸惑うことも多いがいずれ慣れることであろう。
 わざわざ記事にして投稿するほどのことではないが、コロナが収束に向かいつつあり、ミサが元に戻りつつあることを記録に残しておくことも意味があるかもしれない。にぎやかなご復活祭が来るのが楽しみだ。

【四旬節第四主日】

 


1 以前の「憐れみ」は上から目線の印象を与えるから「いつくしみ」に変えたと聞かされたが、あまり説得力がない印象を受ける。いっそのこと「キリエ・エレイソン、クリステ・エレイソン」の方が言葉につまらないで済むのではないか。サンクトゥス(感謝の賛歌)やアニュス・デイ(平和の賛歌)も変わったようだ。
2 所作でいえば、「礼をする」と「頭を下げる」の区別がよくわからない。また、回心閉祭で「手を合わせて頭を下げる」所作があるがどこが違うのだろう。典礼委員会がどこかできちんと説明してくれているのであろう。

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