カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

分散式公開ミサにはじめて与る

2020-06-21 14:33:44 | 教会

 私どもの組にミサの順番が回ってきて、今日はじめてリアルな分散式公開ミサに与った。年間第12主日で、祭服も緑に戻っていた。
分散式なのでミサに集まったのは40人ほどだったと見受けられた。
 4人がけの椅子は二人がけに限定され、しかも椅子も一列あけて座るという安全策が取られていた。祭壇、説教台、司会者席には
アクリル板がおかれ、消毒用のアルコールディスペンサーも置かれていた。
 聖体拝領でも、信者の拝領の時、「キリストの体ーアーメン」とは言わずに、事前に一斉に唱えておいて、いただく時は黙っていただき、
神父様はマスクをしているという徹底ぶりだった。口からの聖体拝領は禁止、祝福もなし、ということだった。聖体拝領の列も間隔をとって
並ぶ。なにもかにもはじめてのことで、面食らうことも多々あった。
 歌は歌わないし、献金袋は回ってこないし奉納はない。平和の挨拶もお互いに遠くからで、眼で挨拶しようにもマスクで顔もわからない。
こういうものだと言われれればそうかと納得するが、聖体拝領ができただけでも有難いと思った。
 ミサも30分くらいで終わり、わたしとしの経験の中では最短のミサだった。神父様のお説教も短かった。今日の福音朗読は
マタイ10:26−33で、「体を殺す者どもを恐れるな」で、神父様の今日の川柳はこうなっている。
「信仰を どこまで深めりゃ そうなるの」。信仰浅き私には信仰を深めるなんて無理なので、コロナを恐れてこの4ヶ月じっとしていた。
ミサの後、新たに洗礼を受けられた方々の挨拶があり、教会が動き出していることを実感させてくれた。

(年間第12主日)

 

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