カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

マリア信仰かフェミニズム神学か ー 聖母マリア(5)(学びあいの会)

2022-03-08 09:26:25 | 神学


Ⅴ 近・現代のマリア運動

 啓蒙思想の時代にはマリア信心は衰退したが、19世紀に入るとマリア信心は復活し始める。19世紀も近代と呼ぶなら(1)、この時代に多くのマリア大会が開催され、マリア関連の諸作が増え、マリア出現への関心が高まる。
 歴代の教皇に対して多くの国の司教からマリアを「恩恵の仲介者」と宣言するよう嘆願書が出される(2)。歴代の教皇たちはこの表現は誤解を招きやすく、エキュメニズムの思想に合わないとして永らく回避してきた。
 また、19世紀から20世紀前半にかけてマリア論者たちはマリアの「特権」を強調した。キリストについて当てはまることはマリアにも適用できるとして、マリアをキリストとの「共済者」として教義宣言するよう主張した。さすがこれは行きすぎたマリア信心だとして反省運動が起こり、第二バチカン公会議にまで議論は持ち越される。
 とはいえ現在でも、マリアは、「弁護者」・「扶助者」・「援助者」・「仲介者」など様々の称号で呼ばれている(3)。


19世紀以降歴代教皇のマリアについての発言(4)

 

Ⅵ 第二バチカン公会議 ー 20世紀のマリア

 1854年の「無原罪の御宿り」の教義宣言と、1950年の「被昇天」の教義宣言の間はマリア信心が最も高まった100年間だった。だが、特に被昇天の教義宣言には教会の内外から様々な批判が続いた。突然ヨハネ23世によって開かれた第二バチカン公会議ではマリア崇敬の扱いは紛糾し、以後マリア崇敬は極めて抑制的なものとなって現在まで続いている。光延師はマリア崇敬にとり第二バチカン公会議は「精神的な分水嶺を超えた歴史的出来事」(5)と呼んでいる。

 1965年から開かれた第二バチカン公会議では、600人を超える代表者がマリアをテーマとする護教的文書の作成を強く提案したという。これに対しフランスの司教を中心にこの文書案はあまりに近代主義的・合理主義的色彩が濃く、エキュメニズムへの配慮に欠けるとして反対した。独立した文書ではなく、教会に関する教令の中で述べるにとどめるべきだと新たな提案を出したという。長い議論の末決着はつかず、結局採決に持ち込まれた。評決の結果は、2193票中、賛成は1097票、反対は1074票、無効5票、という結果だった。わずか23票の僅差だった。こうしてマリアは『教会憲章』のなかで扱われることになった。この評決の結果を契機に、それ以前の過剰とも言えるマリア信心は穏やかなものに変わっていったと言われる。要はマリア信仰は衰退の道を歩み始めたのだ。

 こうしてマリアは第二バチカン公会議では、独立した教令や憲章としてではなく、『教会憲章』第8章で扱われることになった(6)。
 教会憲章は見ればすぐ解るように、最後の第8章がポツンと浮いて置かれている。全5節17条(項)からなるが、第8章の表題は「キリストと教会の神秘の中の神の母、聖なる乙女マリアについて」となっている。ごく当たり前の表現のように見えるが、よく考えると意味深長な表現だと気づく。従来のマリア論がキリスト型マリア論であったが、この第8章がここから教会型マリア論に変化していく契機となった。従来はキリストをモデルとしてマリアを考えてきた。この教会憲章はマリアを教会の中に位置づけることによって、より親しみやすいマリア信仰を目指したようだ。
 簡単に第8章をみてみよう。

序文(52~54条)
 マリアをキリストと教会との関係で論じる公会議の意図が述べられる。
52条 (キリストの神秘におけるマリア)
 キリストの救いの神秘との関連で、キリストの母として終生乙女なるマリアを敬わねばならない
53条 (聖なる乙女マリアと教会)
 「乙女マリアは、神である主の真の母として認められ、讃えられている・・・その信仰と愛において、教会の典型(象形 typus)、最も輝かしい範例(exemplar)である」
二 救いの歴史における聖なる乙女マリアについて (55~59条)
 聖書が聖母マリアについて語っていることを簡潔に要約している。マリア論の基礎となる聖書本文の解説である。
三 聖なる乙女マリアと教会
 前半(60~62条)はキリストの救いの営みにおけるマリアの役割を説明している。
 62条「マリアの取り成し」
  「マリアは仲介者だが、唯一の仲介者はキリストであり、マリアはキリストの尊厳と努力になにものも付加しない。」マリアの従属的立場が表明されている。
 後半(63~65条)は新しい教会論的マリア論が語られる。マリアは教会の「典型」であり「模範」であるとされる。
四 教会における聖なる乙女の崇敬
 (66~67条)
 マリア崇敬に関する教会の態度が要約されている。教会はマリアを模範とし、その取り次ぎを願うことを勧めているが、「崇敬」は、三位一体の神・御父・御子・聖霊・受肉した御ことばに捧げられる「礼拝」とは「本質的に異なる」としている。
五 旅する神の民にとって確かな希望と慰めのしるしであるマリア
 (68~69条)
 希望のしるしとしてのマリア、キリスト者の一致のためのマリア、が述べられる。

 全体として、神学者に対しては、マリアの役割に関して、偽りの誇張も、過小評価も避けるよう諭している。

Ⅶ 公会議後の動き

 公会議のあとマリア信心は冷却し、後退したと言われる。他方、多くのマリアの出現が見られ、マリア信心の復興を目指す動きもみられた。
 神学的にはマリアは「神学的人間論」のなかで論じられるようになる。K・ラーナーをその代表例とみてもおかしくはないだろう。
 文化的に見れば、マリア信心が各国で普及するにつれてその在り方に「アカルチュレーション」の影響が及んでくる(7)。
 また、教会憲章第8章マリア論にはロザリオについて言及がなく、信徒に激震が走ったようだ。マリア信仰は結局はロザリオの祈りに帰着する。ロザリオなしにマリア信心はありえない(8)。

 これらの信徒の動揺に対応するために、教皇パウロ六世は1974年に聖マリアの信心についての使徒的勧告『マリア ー リス・クリストス(聖母マリアへの信心)』を発表した。また、ヨハネ・パウロ二世は1987年に回勅『救い主の母』を発表した。特にヨハネ・パウロ二世は数多くの回勅、使徒的勧告、使徒的書簡を発表し、健全なマリア神学とマリア信心の在り方を示した。ヨハネ・パウロ二世以後マリア信仰には復活の流れが生まれたとも言われる。

Ⅷ フェミニズムとマリア論

 だが、マリア神学にとり最も大きな挑戦はフェミニズム神学の登場だろう(9)。マリアは、単に女性であるというより、信者の模範として、存在してきた。だが、そうはいっても、マリアはやはり女性として崇められている。男性の視点からのマリア像だ。イエスは男性だ。教会のヒエラルヒーは男性中心だ。教会のマリアのイメージは、女性の受動性・従順性の強調だ。
 フェミニズム神学によれば教会のこのような女性観は「エヴァ→マリア」図式が働いているからだという。イエスが男性で、マリアが女性であることを強調することにより、女性は男性の下にあり、受動的で、従属的だというイメージが作られてきたという。フェミニズム神学はこういうマリア像は、現実の社会の反映であり、教会における男女の位置の違いが解消されない限り改まらないだろうと主張しているようだ(10)。
 マリアの中に女性性のモデルを見るのか、それとも、「マリアの中に一人の自律した信仰者の姿」を見るのか(11)、マリア信仰は新たな出発点に立っているようだ。



1 マリア論から見れば、フランス革命(1789)によってそれ以前の体制が「アンシャン・レジーム」(旧体制)と呼ばれたことが近代の始まりとなる。世界史上最も重要な革命とされたフランス革命の理念を認めるのか、認めないのか、が問われた。
 近代と現代をどこで区別するのか、学界(学会)によって異なるのだろう。そもそも近代と現代を区別しないという考え方もあるだろうし、現代の時期区分は時代の変化とともに日々変わるという考え方もあるだろう。現代の開始時点をどこに置くかでその人の思想的・イデオロギー的立場も表明されてしまうという考え方もあるようだ。例えば、世界史で言えば、現代はロシア革命から始まると考えるか、第一世界大戦から始まると考えるかで世界の見方が変わってくるようだ。日本では、現代は第二次世界大戦の終了から始まるという理解があるかと思えば、1970年代以降を指す人も多いようだ。時代の区切り方は複雑なようだが、マリア論から見れば、現代は第二バチカン公会議以降ということになる。
2 「恩恵の仲介者」(medeatrix)とは何かについて明確な説明はよくわからない。基本的にはキリストから人間への恵みはマリアを通して与えられるという信仰だ。「全ての」恵みがそうなのか、信徒からマリアへの願いも含まれるのか、など神学的には議論があるらしい。
3 『教会憲章』第8章第62条。教会憲章第8章はマリア論である。以下に見るように妥協の産物とも言える。
4 光延一郎『主の母マリア』 275頁
5 同上 125頁。師は「恩恵の仲介者」説には、慎重な表現ながらも肯定的な姿勢を見せているように読める。
6 これが、公教要理においても、神学校の神学教育においても、マリア論が、キリスト論の一部としてではなく、教会論の一部として扱われている背景なのであろう。
7 アカルチュレーション acculturation  。社会科学では「文化変容」と訳されることが多いようだ。異なった文化の接触が接触した両方の集団に文化の変化をもたらすことをさすようだ。日本では「キリスト教の土着化」という文脈で議論されることが多いが、現在はあまり用いられないようだ。影響を受ける側の変化だけが強調されすぎるからだろう。アカルチュレーションの評価に関しては、教会でも肯定論・否定論があるようだ。典礼を日本の習俗・習慣に合わせていくのか、ローマ典礼を厳守する方がよいのか、われわれはまだ変化の途上にあるようだ。今年の待降節からミサの式次第がかなり変わるという。すでに練習が始まった教会もあるという。日本の司教団がわれわれをどこへ導いていってくれるのか、静かに見守りたい。
8 ロザリオの祈りとは、「玉」(たま 珠 仏教の数珠に似ている)を繰りながら(数えながら)、キリストの生涯をマリアとともに黙想する祈りのこと。普通、第1~第5の黙想まである(15玄義)。主の祈り1回、天使祝詞(アヴェ・マリア)を10回、栄唱1回で「1連」、5連で「1環」という。古くから続いてきた伝統的な祈りかたで、長くはないがそれなりに時間がかかる。だからお祈りの文言をチョコチョコ変えられるとお祈りをよどみなく唱えることが難しくなるので、今でも相変わらず「アヴェ・マリア」ではなく「めでたし」を唱えている信者が多いようだ。ロザリオを持っていない信者はまずいないだろう。

 

【ロザリオの祈り】

 

9 フェミニスト神学ともいう。様々な理解、説明があり、光延師のようにその淵源を解放の神学に求める立場もあるようだ。カトリックではH・バルタザール(1905~1988)とJ・ラッチンガー(1927~ 現名誉教皇ベネディクト16世)のフェミニズム神学批判が有名だ。特に、K・ラーナーと並び称されるH・バルタザールはかなり古くさい神学的立場に立ってフェミニズムに反対しているが、女性を「欠損のある男性」とみなす極端な見方は拒否している。「教会は女性的である」、つまり受容的で養育的だと主張したという。
 フェミニズム神学はフェミニズム論の影響を受けてきたとはいえ、そのままではない。フェミニズムの思想はマルクス主義から実存主義、自由主義など幅広い思想的影響の中で発展してきたと言われる。またその運動も多様なようだ。他方、フェミニズム神学は教会の男性中心主義の価値観に主に挑戦しているようだ。同一視して論じることはできない。
10 つきつめれば女性の司祭叙階問題にまで発展する。私には司祭の独身制問題よりもはやく方向性が出るように思われる。次の公会議がいつか開かれるとすれば主要なテーマの一つになってくると思われる。
11 光延一郎、同上、128頁

 

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