カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

キュンク神学の今日的意義

2020-04-10 14:36:32 | 神学

 今日は聖金曜日。もともとごミサのない日だが、これでは毎日が聖金曜日みたいなものだ。復活祭のミサもないと通知が来た。関口教会からいくらミサのライブ配信をするといっても、聖体拝領がないのでは与る気にもならない。霊的聖体拝領ってなんのことなんだろう。

 キュンクの『キリスト教思想の形成者たちーパウロからカール・バルトまで』には実は「エピローグ」がある。前回までで7人の神学者の紹介は終わったので、おしゃべりの会(神学講座2020)ではここでエピローグを中心にキュンクの評価で盛り上がりたいところだ。ところが、何分、新型コロナウイルス騒動で教会に集まれない。後日のおしゃべりのために、ここにこのエピローグを簡単に要約しておきたい。

 このエピローグは「時代にかなった神学への指針」と題されている。キュンクは取り上げた7人の比較や総括をしたいとは思わないという。7人のキリスト教思想家たちの「多様性」を学んだからであるという。代わりにキュンクは、自分の神学観を整理する。現代(1990年代のこと)どういう神学が望まれているか、どういう神学を営むべきなのか、を明らかにしたいという。

 キュンクは、他の神学を評価する時に、三つの「判断基準」を使うという。それは、神学の①エトス ②スタイル ③プログラム性 だという。少し整理してみよう。新しい神学はこれらの判断基準にかなうものであってほしいということのようだ。おのおのにつき詳しい説明がなされているが、ここでは要約してある。

Ⅰ 神学のエトス(倫理・思想の基礎)(1)

①日和見主義的ではない誠実な神学
②権威主義的ではない自由な神学
③伝統主義的ではない批判的な神学
④教派主義的ではないエキュメニカルな神学

Ⅱ 神学のスタイル(十戒)

①未信者でも理解できるわかりやすさ
②護教的ではない学問的厳密性
③イデオロギー上の敵を批判的同感的に解釈できる力
④学際的であること
⑤批判的でかつ対話的であること
⑥過去ではなく今日の諸問題を優先していること
⑦教会組織ではなく福音、つまり、キリストの使信に方向付けられていること
⑧専門用語ではなく一般に理解できる言語で語られること
⑨信じられる理論と生きられる実践が結びついていること
⑩教派主義的閉鎖性ではなくエキュメニカルな開放性をもっていること

Ⅲ プログラム性

①カトリック的かつ福音主義的であること(教会と聖書の両方に関係づけられていること)
②伝統的かつ同時代的であること
③キリスト中心的かつエキュメニカルであること
④理論的・学問的かつ実践的・牧会的であること

 なんとも贅沢な判断基準で、なかなかこの眼鏡にかなう神学は少ないだろう。本書はJ・モルトマンとお弟子さんのエーバーハルト・ユンゲルに捧げられているようだが、弁証法神学や実存主義神学を乗り越えようとした「希望の神学」の終末論に期待していたのかもしれない(2)。

 キュンクの主著は『教会論』だが、この本はエキュメニズム論と教皇至上主義批判が中心だという。H師は、第二バチカン公会議後の1970年代には上石神井の神学校(日本カトリック神学院)では若い神学生たちにこの本ははよく読まれていたと言っておられた。エキュメニニズムの思想がいかに強烈な訴求力をもっていたかをうかがわせる。

 だが、キュンクの言うエキュメニズムとは結局はカトリックとプロテスタントの教会一致のことではなかったのか。仏教や儒教や神道やイスラムやヒンディーが本当に視野に入っていたのだろうか。入っていたにせよ、「キリスト中心」と「他宗教との対話」をどのように実現するのか、もう少し議論を展開してほしかった(3)。


1 エトス Ethos 概念も複雑でさまざまな用い方があるだろうが、結局はM・ウエーバーの用法に立ち戻らざるを得ない。つまり、倫理や思想の内容そのものというよりは、それが人間の内面に働きかけて行為を方向付ける生活態度をさす。『プロ倫』でいうなら行動の駆動力とでも呼べようか。
2 希望の神学は1960年代から70年代にかけて、青年の異議申し立て、学生運動を背景に生まれた新しい神学。モルトマンの『希望の神学』(新教出版 1968)が代表作。この本の副題は「キリスト教的終末論の基礎づけと帰結の研究」となっており、終末論を中心に神学を建て直そうとした。ブルトマンの実存論的神学、バルトの超越論的神学はともに啓示が持つ終末論的性格(終末がもつ約束と復活が希望である)を無視していると批判したという。
3 H師はよく言っておられた。「キュンクって、結局、ヨーロッパの話でしょ」。キュンクが、M・スコセッシ監督の映画「沈黙ーサイレンスー」をみて遠藤周作の「日本泥沼論」にどのような印象を持つのか聞いてみたいものである。


 キュンクは最近の著書『7人の教皇』では、諸宗教間の平和がなければ世界の平和は実現できないと主張して「世界のエトス」を掲げ、世界中の諸宗教に共通する倫理を標準化しようとしているという。病気を抱えているとはいえ、92歳にしてまだ元気なようでなによりである。

 

 

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