カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

ポストモダン的パラダイムの創始者 ー カール・バルト(3)

2020-04-07 15:33:28 | 神学

 やはり緊急事態が宣言されるようだ。明日から始まるという。まとめ買いをしてはいけないという。カップヌードルには飽きました。


ハムスター買い(ドイツでのまとめ買い・買い置きのこと)

 


 バルトは、カトリック神学との対決と相互理解を通して、エキュメニズムに関して合意に到達した。教会一致への途だ。いわば方向転換した。賛同者も多かったが、批判者も多かっただろう。やがてかれは、晩年、自分は「時代遅れになった」と言っていたという((1)。ではバルト神学はどう評価したらよいのか。キュンクは、バルトは「ポスト・モダンなパラダイムの創始者」だという。どういうことか。


ルーズソックスはポストモダンか こんな時代もありました

 

 


Ⅵ なぜ近代のパラダイムは批判されるべきなのか

 バルトを神学史のなかでどう位置づけたらよいのか。アメリカの神学者やブルトマン主義者のなかで一般的な呼び方「新正統主義者」(2)が良いのか。それとも、日本に多いバルティアン(3)、つまり、バルトを賛美し、凌駕不可能な神学的頂点とみなす人々が呼ぶ「神学の改革者」と呼ぶべきか。
 キュンクはこれらの人々の評価に対置して新しい呼び方を提出する、バルトを「ポスト・モダンなパラダイムの創始者」と呼ぶ。極めて興味深い命名である。ではそれはどういう意味なのか。

 キュンクは言う。

1 バルトを軽蔑する新正統主義者たちに言いたい。バルトはポスト・モダン的パラダイムの「主たる創始者」だった
2 無批判なバルト崇拝者たちに言いたい。バルトはポストモダン的パラダイムの創始者だったが、完成者ではなかった

 キュンクは自分のこの主張を基礎づけるために、バルト神学の時間的な展開・変化を跡づける。キュンクによる慎重な、しかし長いフォローが続くが、ここでは無理矢理整理してみよう。

1 バルトは最初、近代神学の信奉者だった。シラーやワグナーを好み、カントやシュライエルマッハーが導きの星であった。自由主義神学の弟子として出発する。
2 やがてバルトは、シュライエルマッハーによって完成される自由主義神学への鋭い批判者に変貌していく。ザーフェンヴィルの牧師としての10年が農村の危機を体験させ、社会主義者となる。歴史的相対主義と宗教的個人主義がキリスト教を空虚なものにしていると感じた。教会は空席だらけ、形式的な典礼と説教が支配していた。
3 1914年の第一次世界大戦が近代的パラダイム(自由主義神学)の限界を明らかにした。自由主義神学者たちがのきなみウイルヘルム2世の戦争政策を支持したし、ヨーロッパの社会主義も戦争のイデオロギーに対して無力だった
4 バルト神学は「危機の神学」へと大きく発展した。ドイツ帝政と領邦君主的教会支配の没落、、アメリカ合衆国の登場、ロシア革命の勃発とともに、理性信仰・学問信仰・進歩信仰を中核とする「近代」が崩壊した。そのあとに近代後の(ポストモダンの)時代が生まれようとしていた。

Ⅶ 神学のポストモダン的パラダイムの創始者

 バルトはここに神学のポストモダン的パラダイムの創始者となった。市民社会、市民文化、伝統と権威が次々と崩壊するなかで、キリスト教は今のままでは生き残れない。一方では聖書時代の歴史現象に戻ったり、他方では、内的経験に閉じこもったりするだけでは、生き残れない。バルトは「信仰の批判的な力」の結集を求めた。 ブルンナー、ゴーガルテン、ブルトマンらとともに刊行した新しい雑誌「時代と時代の間に」には綱領的宣言として「神の言葉の神学」がつけられた。やがてこれは「弁証法神学」と呼ばれるようになる。この神学は、シュライエルマッハーを乗り越えて、つまり自由主義神学乗り越えて、前進することを目指した(4)。具体的には以下のような「方向転換」を求めた。

①近代的人間中心主義から新しい神中心主義へ
②宗教的人間の歴史的・心理学的自己解釈から、聖書に証言された神ご自身のことば、啓示、行為へ
③神概念についての語りから、神の言葉の宣教へ
④宗教や宗教性からキリスト教信仰へ
⑤近代的な「人・神」論から聖書的な「神・人」論へ

 こういうバルトの主張は、ポストモダン的なパラダイムへの転換をもたらした。キュンクは、バルトこそ「20世紀の教会教父」であるという。では、このポストモダン的パラダイムがもたらした「神学の新しい方向づけ」とはなんなのか。キュンクは2点強調しているように思える。

  第一はその「キリスト論的集中」だ。この用語はバルト神学の用語としてよく用いられるが、その細かい内容はわたしにはよくわからない。キュンクによれば、それは、啓蒙の弁証法(ホルクハイマーとアドルノの1947年の著書)を認識すること、つまり、近代的合理性が持つ独裁的・破壊的な力を見抜くことによって、キリスト教をなにか人間的なもの、歴史的なものに拡散させてしまった自由主義神学を乗り越えて、「キリストにおける救い」を見直すこと、を意味するようだ。「福音が持つ政治的・社会的な挑戦の強調」ということのようだ。

  第二は、この神学がもつ全体主義批判の姿勢である。バルトはこの時期にすでに20世紀が全体主義の衣をまとい、不条理へと導かれると判断していたことである。あらゆる近代の産物である国家主義と帝国主義への批判を最初から持っていた。教会は、あらゆる政治システムに対して批判的・預言者的姿勢をとるべきだと主張していた。

 バルト神学の出発点は1934年の「バルメン教会会議」にあるといわれる。この会議の宣言(5)は、イエス・キリストのことば以外に、真理や神の啓示を認めないと言っている。多くの他の神学者たちがナチス的・ファッシズム的全体主義のなかに近代の頂点を見ようとしていたのに対して、全体主義のなかに「近代の終焉」を見ていた。ナチズムに対して戦ったドイツ教会闘争である。

 

ドイツ連邦郵便発行のバルメン宣言50周年記念切手 1984:イエス・キリストは神の言葉である

 

 キュンクは、バルト神学の「偉大な志向」を以下のようにまとめる。これ以上はないほどの高い評価である。

①聖書のテキストは、哲学的・歴史学的研究のための証拠書類ではない。それは、「全く他者たる方」との出会いを可能にする神の言葉である。人間はこの神の言葉を、承認し・認識し・告白する(anerkennen,erkennen,bekennen)ことが許される。
②人間はだから中立的な観察と解釈以上のことに向かうべきだ。悔い改め、回心、信仰が求められている。
③教会の課題は、この神の言葉を、宣教という人間のことばを通じて、社会のなかで妥協することなく表明することである。
④教会の宣教も、教義も徹頭徹尾イエス・キリストへと「集中」しなければならない。イエスは人間の良き模範だけではない。イエス・キリストは神と人との関係に関する決定的な基準である。

 キュンクは、もはや付け加えるべきものはないという。完璧だというわけだ。だが、この新しい神学的志向は、教義としてだけではなく、現実のなかでいかにして実現できるのか。バルトの『教会教義学』はただ敬われるだけでよいのか。キュンクはバルト神学の評価へと入っていく。


1 情報化社会、地球環境問題に関してバルト神学が何を言えるというのだろう。
2 新正統主義とは、神の超越性を強調した宗教改革(カルビニズム)の正統主義を、20世紀の視点から再評価して自由主義神学を批判する立場ともいえようか。弁証法神学とか危機神学という言い方もあるようだが、専門家は区別するらしい。
3 バルティアンとはバルト神学の賛美者、信奉者。硬直したバルト主義者を揶揄するあだ名。
4 佐藤優は、「バルト神学によって、自由主義神学が止揚されたという見方は間違っている」と言って、バルトの神学上の意義を、①神を発見したこと②近代を完成したこと、の2点に整理している。佐藤優は「赤い神学者」と呼ばれたフロマートカ(ヨセフ・ルクル・フロマートカ 1889ー1969 チェコのプロテスタント神学者)を高く評価しているが、基本はバルト神学だろう。『神学の履歴書ー初学者のための神学書ガイド』新教出版 2014 12頁)。
5 草案はバルトが書いたと言われる。バルトはよくこう語ったという。「ルター派教会は眠り、改革派教会は目覚めていた」。教会闘争への両派の関わり方をうまく言い表しているという(宮田光雄 『カール・バルト』岩波現代全書 2015 54頁)。

 

 

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