いよいよキュンクのバルト論である。おしゃべりの会(神学講座2020)は新型コロナウイルス感染拡大防止の為教会に集まれないのでお休みだ。致し方ないので本の要約をしておきたい。
今日は受難の主日なので、ごミサがないのはわかっていたが、一応教会に行ってご聖体訪問し、お祈り、祝別された棕櫚の枝をいただいてきた。何人かの方がお祈りしていたが寂しいお聖堂だった。来週の復活祭のミサもない。困ったものだ。
「カール・バルトは、スイスの生んだ20世紀最大のプロテスタント神学者の一人である」は宮田光雄氏の『カール・バルトー神の愉快なパルチザン』(1)の書き出しである。この評価は言い過ぎではないようだ。プロテスタント神学者の中では聖書学(様式史研究)ではブルトマンの方をより高く評価する人もいるようだが、社会的影響力の大きさでは、この「赤い牧師」、反全体主義者、エキュメニズム主義者、「危機の時代の神学者」の右に出る人はいないようだ。キュンクもバルト神学を「いかなる解放の神学よりもラディカルな解放の神学である」(2)と評価を惜しまない。バルトもキュンクもモーツアルトの専門家でもある。通じるところは多いようだ。キュンクは、カトリック神学者として、プロテスタントのバルト神学の何をどのように評価するのであろうか。
本稿のタイトルを「ポストモダンの神学」とした。本章の本来の副題は「ポストモダンへの移行における神学」となっている。これは、キュンクがバルトを本書の最後で「神学のポストモダン的パラダイムの創始者」と呼んで話題になったからである。バルト神学がどういう意味でポストモダン的なのかは論考をみることにして、ポストモダンでさえ乗り越えられて過去の哲学的思潮になってしまっている2020年代の今日、バルト神学をポストモダン的と評価することにどういう意味があるのかも考えながら見ていきたい。80年代のポストモダン論争、ラッチンガー(名誉教皇ベネディクト16世)とハバーマスらによる批判(3)を思い起こすとき、このキュンクの議論の時代的制約性(原著は1994年)も覚えておきたい。
Ⅰ 喧嘩っ早いプロテスタント
キュンクは、バルトが「反カトリック扇動者」としての自分の姿勢を明らかにした、1948年の ーつまり、戦後のー オランダのアムステルダムで開かれた「第一回世界教会会議」での発言から話を始める。誰でも知っているバルトの過去の経歴やヒットラー帝国への闘争(4)の話から始めるのではないことが興味深い。
この大会では、プロテスタント、カトリック、東方教会などが集まって「世界キリスト教協議会」(WCC=ORK)の発足が意図されていた。エキュメニズム運動のシンボルだった。だが結局、ローマ教皇ピウス12世は参加を拒否し、ロシア正教も参加しなかった。このとき62歳のバルトは、「この(ローマとモスクワの)拒絶の中に、わたしたちの上に及んだ神の力強い手を率直に認識しないでいられようか」と高々と宣言し、最後の教皇首位主義者 Vorkonziliar ピオ12世に挑んだのである。
Ⅱ ローマ・カトリシズム批判
バルトのカトリック批判は、神学的には深いものに根ざしており、時代的にも遙かに遡るという。バルトは若いときカトリック神学者(イエズス会)エーリッヒ・プシュワラと出会い、「存在の類似性」(アナロギア・エンティス)(5)の理念につき議論する。バルトは、カトリックは、シュライエルマッハーらの「新プロテスタンティズム」よりはキリスト教の精神をよく守っていると判断したが、神の啓示を独占するという「根本的誤謬」を煩っていると批判した。世界は世界、人間は人間、神は神で断絶しており、イエス・キリストにおいてのみ和解が可能になると主張した。弁証法神学の立場である。
『ローマ書』『教会教義学』におけるこういう主張にカトリック神学は注目し始めたという。第二バチカン公会議はまだ遠い先の、1930、40年代のことである。
Ⅲ カトリックからの理解の試み
バルトに注目した二人目のカトリック神学者はバルタザールである(6)。『カール・バルト その神学の表現と解釈』(1951)はバルト神学の内的理解の突破口となったという。バルタザールはバルトこそシュライエルマッハーとのみ比較できる神学と思想を持った人物だと高く評価した。特に、バルトによる「キリスト中心 Christus-Mitter 説」(キリスト集中説)にもとづく「予定論」の新しい解釈を高く評価したという。
キュンクは、バルトの『教会教義学』(1932)は「二正面作戦」の戦いだったという。右正面にローマ・カトリシズム、左正面に自由主義的新プロテスタンティズムを置き、危機の神学、弁証法神学をもって正面突破しようとする。
右正面のローマ・カトリックは、スコラ哲学と第一バチカン公会議(1869)の結果、「存在の類比」論に囚われ、神と人間を横並びにして、自然と恩寵、理性と信仰、哲学と神学の協働関係を構築しようとしていた。バルトは神と人間の断絶を強調して、ローマ・カトリックを批判する。
左正面の自由主義的新プロテスタンティズムは、シュライエルマッハーの影響のもとに、神と神の啓示ではなく、敬虔な宗教的人間を強調しすぎていた。だからかれらは、カトリックと同じように、支配的な政治システム(第一次世界大戦の戦争政策、ナチズムの国家社会主義)に妥協していった。
神と人とのこの「存在の類比」の故に、プロテスタントの「ドイツ・キリスト者」はヒットラーのなかに、キリスト教とドイツ国家を結びつける新しいルター、新しいキリストを見たのではないか。バルトの批判は激しかった。
だが、バルタザールは、このバルトの主張ー存在の類比からの分離あるいは信仰の類比の対置ーは「誤った問題設定」だと見抜いていたという。カトリック神学も教会も、神と人間の相違をバルトが言うように単に「同水準化する」などと望んでいないし、神の啓示を独占したいなどと望んでもいない。バルトはバルタザールとの長い論争の末に批判を受け入れ、「その言葉(アナロギア・エンティス 存在の類比)は今では埋葬しました」と述べたという。だがバルティアン(7)の多くは、教会分裂(カトリックとプロテスタントの分裂)は、教皇制やサクラメントのせいではなく、この存在の類比説によると現在でも相変わらず主張しているという。
キュンクはここでバルトをこれ以上追求しない。むしろ、自分が、カトリック神学と福音主義神学が和解可能であることを学んだのはバルトからであると素直に述べている。「カール・バルトは、まさに彼が福音主義神学の断固たる形成を体現したからこそカトリック神学に最も近いところに来たということである」(299頁)。訳文は硬いが、キュンクはバルトに好意的だ。カトリック神学と福音主義神学はどこで和解しうるのか。キュンクはそれは「エキュメニカルな神学」の可能性の追求のなかにみる。
バルトのエキュメニズム論は次回に回したい(8)。
注
1 宮田光雄 『カール・バルトー神の愉快なパルチザン』 岩波現代全書 2015。なお、パルチザンとは特定の党派性を持った者という意味だが、現代では、機動力を持ったゲリラ(遊撃兵)という意味で使われる。この「神の愉快なパルチザン」という呼称はバルト自身が選んだものだという。ユーモアとアイロニーが含まれているようだ。
ちなみに簡単に年譜を見てみよう。カール・バルトは1886年にバーゼルで生まれ、1968年にバーゼルで死去。1904-1909の神学生時代、1909-1921の副牧師、牧師時代。1919年出版の『ローマ書』がスイスの田舎牧師をドイツ語圏最大の神学者にする。1921-1935の神学教授時代。1935年ナチスによりボン大学の教授職から追放され、以後バーゼル大学で神学を教えながらヒトラー帝国に抵抗する教会闘争に参加する。終戦後の1948年の世界教会会議での講演が彼の名声を不動のものにする。1959年『教会教義学』の最終巻(Ⅳ/3)。1962年最初の米国旅行。1966年最後のローマ旅行。1968年バーゼルで死去。
2 ハンス・キュンク 『キリスト教思想の形成者たち』新教出版社 2014 328頁
3 J・ハバーマス/J・ラッチンガー 『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』 岩波書店 2007
Dialektik der Saekularisierung Ueber Vernunft und Religion (2005)
4 バルトが起草した1934年の「バルメン宣言」(ナチに抗議したドイツの福音主義教会の宣言)は、「現代史のなかで最も感動的な物語」であるという(小田垣雅也『キリスト教の歴史』講談社 1995 240頁)。
5 「存在の類比」とは難しい神学用語だが、神と被造物との間には類似性があるというトマス神学の概念。専門的な議論は別にして、基本的には人間は神の似姿であるという視点をさすらしい。バルトは類似性より断絶を強調する。佐藤優などは「関係の類似性」概念と対比させて好んで論じている。関係の類比概念もはっきりしないが(バルトにならって)信仰の類似という意味らしい(『同志社大学神学部』光文社新書 2015)。
6 ハンス・ウルス・フォン・バルタザール Hans Urs von Balthasar 1905-88。プシュワラとリュバック(1896-1991)の両者の弟子。バルトとおなじくバーゼルに住んでいた。イエズス会
を退会し、在俗修道会「ヨハネ共同体」を設立。第二バチカン公会議前後のカトリック神学の指導者。カトリック神学のなかではカール・ラーナーと並び称される。
7 バルティアンとはバルト神学の賛美者、信奉者。硬直したバルト主義者を揶揄するあだ名のこと。否定的なニュアンスをこめて使われることが多いようだ。
8 佐藤司郎 『カール・バルトとエキュメニズム:一つなる教会への途』 新教出版 2019
著者はプロテスタント神学者なのでキュンクとは視点が異なる。