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新編 燈火節 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:2007-12 |
青空文庫では片山広子になってるけど本人は絶対そう書かれたくないと思う、Googleでもひっかかる物件が若干違うし、やっぱヒトの名前は正しく書くべきだ、ということとは関係なくこの本、入手可能、青空にもまだ全編収録になってないから自分もつい買ってしまったのだ、まだ届いてないが、この記事を書くには問題ないと思う(たぶん)
さてこのヒトは明治11年生まれ、与謝野晶子より10ヶ月ほど年長で晶子より15年ほど長生きして昭和32年に亡くなった、晶子に比べたら遥かにマイナーだが歌人としても知られている(翻訳者松村みね子の方が永らく忘れられてたらしく、「ケルト民話集」を訳された荒俣宏氏もご存知なかったとのこと)、その生涯についてはこちらのサイトに詳しい
女なれば夫【つま】も我が子もことごとく身を飾るべき珠と思ひぬ
何事も女なればとゆるされてわがままに住む世のひろさかな
すごいよね、わかる、よくわかる、けど思ってても普通言うか、こんなこと、ヒトを悪く言わないから「梔子(クチナシ)夫人」と呼ばれて年下の芥川や堀辰雄に慕われてたとのことだが、自分を悪く言うのは平気だったんだな・・・・いや・・・・やっぱエライ・・・・
で、この本はこのヒトが昭和28年75歳の時に出した生涯ただ一冊のエッセイ集、昭和34年生まれの分子生物学者福岡伸一氏がモンキービジネスVol.5に「隠された刺」として紹介されたものである、引用されてるエッセイは「池を掘る」と「赤とピンクのあいだ」で「池」の方は青空にあるから誰でも読める、「戦時中、庭に防火用水の池を掘らせてくれと頼まれてそうしたが、たぶん一度も使われなかったのでは」という一件、福岡氏によれば「あの頃戦争に協力してた誰彼をはっきりそれと言わずに非難している、つまり復讐の刺を隠してる」(私によるかなりデフォルメな要約)
まあその通りで間違いじゃないんだろうが、福岡殿、貴方の読み方ちょっと違う気がするんだよな、池を掘ったのは昭和18年じゃなくて19年だと思うよ
上に紹介したサイトによれば彼女の一家は大森駅前の大邸宅に住んでいた、ダンナ(大蔵官僚)は大正半ばに亡くなって彼女は40代前半で未亡人になった、その時二人の子供はまだ勉学中だったハズだが別に生活に困るわけでもなく、その家で「梔子夫人」として優雅に暮らし松村みね子の名前でアイルランド文学を翻訳出版した(「かなしき女王」は大正14年発行)、そのうち息子は独立して近所に家を持ち、娘は嫁に行き(時々母親を訪ねていたらしい)、彼女は大邸宅で女中と二人になった、いよいよ空襲が激化して日本が危なくなり出した頃には、すでに60代半ばを過ぎていたがまだ元気だった(みたい、この書きぶりから推測すれば)、以下年代を追う
昭和19年2月-3月 庭に池を掘る
昭和19年*月*日 大森から井の頭線の浜田山へ疎開
昭和20年3月10日 東京大空襲
昭和20年3月24日 長男急死(家は焼けてなかった)
昭和20年4月*日 大森の自宅を訪ねる、池は残っていた、鶯が鳴いた
本文には大空襲が抜けている、当時は言うまでなかったかもしれないし、思い出したくもなかったのかもしれない、大森駅周辺は強制疎開になって誰もいなかったらしい(だから池も役に立たなかったハズと)、自宅はかなり無残な状況だったのじゃあるまいか、その空襲を生き延びたのに息子も死んだ、この年になってなぜこんな目に・・・・なんてことは書いてない
彼女はその後も10年以上生きて書いて世間に復讐した-その意味では福岡氏のおっしゃる通りであるのだが、事実は彼が考えられた以上に劇的だったってことなのだ
(注-上のサイトのデータ、実はウラがとれない、「かなしき女王」の解説は翻訳書の記録だけで彼女のプライバシーには一切触れてないのである、ひょっとしたらまちがいという可能性も、けどせっかく書いたんだ、アップしとけ)