事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

デーモンまたは悪魔

2010-09-23 18:15:05 | 本と雑誌

2つ前の記事でリンクしたブログのオペラ紹介をよく見たら、レールモントフというヒトの詩(デーモン=悪魔)に曲をつけたものだった、レールモントフはプーシキンと同時代(19世紀前半)の詩人で早く亡くなったから作品少ないが「悪魔」は日本語訳も出てる(岩波文庫、ただし今は売ってないしプーシキンと違って青空にも入ってない)、皆川さんがご存知だったのはこちらという可能性もあり、いや絶対この本をお読みだったハズと考えるべきだろか、トレチャコフ美術館でヴルーベリの絵に会って「わ、あの詩がこの絵になったのか」だったのか、何かこっちの方が説得力ありさう(妄想としてな)

そっからこの詩がルビンシュタイン作曲のオペラになってる、え、ルビンシュタインってハイネの詩に曲をつけて、上田敏が日本語訳をつけたあのヒト?ってことになったのか、確かに短編集「蝶」は「冬の旅人」より後だもんね、ま、そんならそんでも別にかまわん(だからそれも妄想)

ルビンシュタインはそれほど知られてないわけでもない、私も一曲は知ってたし、これは聞けば多くのヒトが「あ、それ」というメロディだろうと思う、残念ながら途中までしか思い出せんのだが

今更だけど皆川さんのミステリ「倒立する塔の殺人」で小道具になってた「カラマーゾフ」の文庫、1冊というのが何とも不自然と思ったんだが、「悪魔」ならピッタシだったと思わない?いや、だったら「スペードの女王」でもいかんことはないか、わからんくなって来たのでとりあえずアップ・・・


冬の旅人

2010-09-22 11:11:51 | 本と雑誌

私ごときは論評を避けるべき作品だと思うけど、読むと何か言いたくなる小説というヤツ、どうしてもあるものなんだよな
昨日の記事で不用意に皆川さんは女のデーモン?とか書いたけど読了後の感想はまさにそれ、作者にデーモンがついたとしか思えない

モスクワにトレチャコフ美術館というのがあって、ヴルーベリの「デーモンとタマラ」を展示している、皆川さんはそれを直に見られて(だよね?)、この絵がオペラの1シーンを描いたものであり、その作曲者が幼時から親しんで来たルビンシュタインであることもお聞きになった(と信じたい)、オペラの内容はどうでもよい、この絵のテーマは「美しく邪悪なデーモンに魅入られた女性」(ホントはちょっと違うみたいなんだが)-と感じられた時、デーモンみたいに悪くてパワフルな男と自分も制御できないデモニッシュ部分を持つ女との壮大なストーリーが浮かんだのじゃなかろうか?(妄想全開)

作中でタマーラと呼ばれてるのは明治13年、17歳でロシアへ絵の勉強に行った環という日本人の女性、こういう女性の存在は史実で、このヒトは帰国して日本の教会にイコン(聖画)を描かれたとのことだが、小説のタマーラは預けられた修道院を脱走してペテルブルクのスラムに暮らし、諸般の事情で西シベリアの小さな村へ移住する
なぜか? グリーシャという悪ガキに出会って様々なモメごとに巻き込まれるため
グリーシャとは誰か? グレゴーリー・ラスプーチン、全然美しくないデーモン、なぜか日本人のタマーラを運命の女性と信じて、その後もことあるごとにかかわり続ける

ラスプーチンについてはいろいろ言われてるが、皇后を色じかけでたぶらかしたのではない(弓削の道鏡だってどうかわからない、下衆の考えることは洋の東西を問わないな)、皇太子が血友病で死にかかったのを助けて信用されたのだ、どうやら特別な能力があった、「癒しの手」を持ってたということらしい、これは彼の特異な出生の事情によるものかと想像されるんだが、作者は一切何も言っていない(この辺が「理解を得られなかった」ところなんだろか、いや私ごときが理解したと言ってはいかんのだろが)

圧巻はラスト数ページ、ラスプーチンが殺され皇帝が退位して幽閉された後、タマーラはデーモンにとりつかれたごとき大活躍を見せる、もちろんお話の展開は史実の通りで皇帝一家は惨殺され、誰も助かってはいないのだが・・・・

これは絶対プロ(石堂さんとか)の書評が必要だな、文庫で復活させて解説を入れてもらいたい、表紙の絵はもちろん「デーモンとタマラ」しかないだろが、「座るデーモン」もどこかにほしいと思う、ホントに予定ないんですか、講談社殿?

付記-下の記事にも書いたとおり、文庫版も絶版、Azonではなぜか前半だけしか売ってない、表紙が別の絵になってたから、表紙と解説(石堂さんじゃなかったようだから)つけかえてもう一回出すというのは如何、ないだろなあ・・・・・


サタンは美しいそうだな

2010-09-21 11:33:01 | 本と雑誌

デビルマンより、あ、これも著作権侵害になるんだろか?
Vrubel_demon この美しい悪魔(「座るデーモン」)を描いたのはロシアの画家ミハイル・ヴルーベリというヒト、皆川博子さんの「冬の旅人」で見て、検索したら実在の画家の実在の絵だわかったのでロシア語のWikiにて画像を探しあてた、なるほど文章でいくら読んでも絵のイメージはわからんね、これぞ「百聞は一見に如かず」-というわけでとりあえずアップ

冬の旅人 冬の旅人
価格:¥ 2,415(税込)
発売日:2002-04

この本についてはまだ途中なので感想をひかえる、この画像ではよくわからんと思うけど表紙の絵は「デーモンとタマラ」というタイトルでこれまたヴルーベリの作、デーモンがはっきりと美しさより邪悪さを強調する表情になっている、でもってこれは歌劇「デーモン」(アントン・ルビンシュタイン作曲!!)の1シーンなのだった、ルビンシュタインはロシアの作曲家でチャイコフスキーの友人、あまり知られてないとのこと(あれ、そんなら私は何でこのヒトがロシア人だって知ってたんだ?)だが、去年「デーモン」の演奏を生で聞いたヒトがブログに紹介していた、それにしても皆川さん、あなたはホントにどういう方なんですか、もしや女のデーモンなのでは?

しかしこの作品、何で文庫になってないんだろな・・・・なってるよ、それも絶版、一応中古を1円から売ってる、表紙込みの作品だからハードカバー買ってよかったけどな


砂の海峡

2010-09-20 17:54:26 | ミステリ

何だよ、その意味不明な単語は?って検索したら、似てるというだけなら「飢餓海峡」だって似てるじゃないかとか書いてたヒトがいたので

洞爺丸の事故(昭和29年)が重要アイテムになってるので何となく大昔の小説のような気がしてたけど昭和37年連載開始(おいおい十分昔じゃないかって?私にとっちゃリアルで知ってる時代は新しいの!)、「砂の器」(昭和35年連載開始)の方が先輩なのだ、マネしたとすれば水上の方、「都合の悪い過去を知る人物が思いがけず現れたので消さざるをえなかった」という設定、それだけ見れば確かに似てるし、地方のベテラン刑事(映画で伴淳がやった)と東京の若い刑事(映画では健さん)の組み合わせも何となく清張的(作品違う!!)、ただ読んでないから何とも言えないけどミステリとしての出来は清張がずっと上なんじゃないかな(「砂の器」が特によい方とも思わんが)、「飢餓海峡」の犯人(三国連太郎)って、ハナっからバレバレでないの?(違ったらゴメン、実は映画の説明聞いただけなんで)

「飢餓海峡」の映画化は昭和40年(この頃映画産業は斜陽化寸前でまだ元気)だったが、「砂の器」はずっと後の49年(映画の時代は終わったと言われてたような気がする、つまり今になれば誤差範囲かもしれないがリアルで生きてた私にとっちゃ大違いなのだ)、当時「似てる」という指摘があったかどうかは知らない
だけど森村誠一が「人間の証明」を書いたのは昭和51年で、当時「砂の器」は本を読まないヒトも知ってる有名作品だった、もちろん時代的に映画はあんまし見られてなかったかもしれないが(かく言う私も見ておらぬ)、そんでも映画を見るヒトは本を買うヒトよりはるかに多い(本を買う程度にしか見てくれるヒトがいなかったら誰が映画なんか作るかっての、製作コスト違い過ぎ)、映画の劣化コピーな作品など発表したら、いかに実力作家の森村でもフクロ叩きに会ったのじゃなかろうか?
そういうことがなかったらしいというか、これまた映画化されて一応の人気だったということは、つまりプロデューサー角川春樹に「あんなテイストの作品書いてくれませんか、映画作るから」と頼まれたのじゃないかな?と想像するわけなのである(というかどこかにそんなことが書いてあったのを読んだ気がするというべきなのか)・・・・・


内田百閒

2010-09-19 15:01:44 | 本と雑誌
内田百けん (ちくま日本文学 1) 内田百けん (ちくま日本文学 1)
価格:¥ 924(税込)
発売日:2007-11-20

Azonで表示すると百けんになっちゃって見苦しいね、「件」って短編が載ってるのでゲト、件(くだん)は知るヒトぞ知る妖怪の有名どころだったらしい、私は40年間、小松さんの創作だと思い込んでたんだなあ、「大事が起きると生まれて未来を予言し大事が終わると死ぬ」という設定を有効に使われたのは(そして見事にオチをつけられたのも、あ、ネタバレ自粛ね)、小松さんに違いないけど、人面牛身の変な怪物自体は江戸期の初出らしい、小松さんは牛面人身に描いておられたんだが、その場合、発声器官はどうなるんだ、人語を話せるんだろかとよけいな心配してみたり・・・

百閒の「件」は予言しないので死ぬこともなさそう、それに結局ヒトの方も予言なんか聞きたくないのだった、ファンタスティックなホラーばかし書いてたけど、この作者ほんとはよーく現実が見えてたんだと思う、そう、同じファンタジーでもはっきり理に落ちてる芥川と違って、百閒ホラーには筋道とか理屈がなくてただコワい、この「件」もちょっと前までヒトだったのがいきなり怪物に変身しちゃってとまどうばかりというカフカばりの不条理さ(もっとも文章はかなりオカシイ-ところもなくはない)、でもって現実とはスジが通らなくてオカシイ、そういうものなのだ、たぶん、百閒はカフカを知ってたかな?(修辞疑問、答えは聞いてない)

そう言えば「山高帽子」って中篇は芥川をモデルにしてる、自分(私=百閒というわけではないらしいが、一部の状況はモデルになってるハズ)が徐々に狂いかけてる恐怖を描いてると見せて、突然友人(=芥川)が自死したと聞かされる、かなりコワい

やっぱ芥川ってウツだったんだろな、けど今なら死ぬことはなかった・・・かどうかはむつかしい、中年の男が死ぬと決めたら、何が何でも実行しちゃうもんだろうからな

9/20付記-修辞疑問だったカフカとの関係だが、本格的に翻訳が出始めたのは戦後になってから、したがってリアルで「件」を読んだ読者(大正10)は「変身」を知らなかった、しかし元本は1915年(大正4)に出てる、あちらではそこそこ知られた作家だった、百閒はドイツ語の先生なんだから読んでなかったと断定はできない