路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

手をつけば腰湾曲す寒の水

2010年01月08日 | Weblog



 本格的に肉体労働開始す。
 重いものは重く。(当たり前)冷たいものは冷たい。(これまた当然)
 寒いのと、年末からサボってたので腰がギンギンに痺れてくる。指先の感覚がなくなって、水道水に漬けると、水の方が温かいからジンワリ感覚が戻ってくる。痒みとともに。

 なんてことはドーでもいいよなァ。
 もっと教養かおるブログにせねば。
 なにゆえオザワ一郎は小沢で、オザワ征爾は小澤であるか、とか。
 よーわからんがなんでだろう。岩手と山梨の違いなのか。政治家と音楽家の違いゆえか。(マア無意味なブログだこと)

 某所で数人と話す。
 不景気であるということ。もう、どうしようもないということ。なにより、将来的に全く展望がひらけないということ。
 今好景気な業種は何か。ということで、全員一致ででた結論が、それは坊さんである、ということ。
 寺だけは日々きれいになって、寄付だけは平気でまわってくる。ゴ住職はすっかり土地の名士になって、日々社交に余念がない。法事を頼めば居丈高で、根拠の不明な金額をとって税金だってかからない。転職するなら宗教法人にかぎる。
 と、誰かが、しかし人々の意識も変わってきて、葬式の様相も変わってきた。これからは今までのように坊主丸儲けというわけにはいかんのじゃないか、と言う。将来はゴ住職が托鉢に歩かなけりゃならん世の中になるかもしれん。
 居合わせた全員が、早くそういう世の中になればいい、ソーダそーだと文句なく全員一致、大賛成。
 既存宗教に対する潜在的不信感は深い。
 そんな一日。