聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

創世記9章8~17節「雲の中の虹はしるし 聖書の全体像10」

2019-03-03 14:59:57 | 聖書の物語の全体像

2019/3/3 創世記9章8~17節「雲の中の虹はしるし 聖書の全体像10」

 「聖書の物語の全体像」を続けています。今日は

「ノア契約」

をお話しします。前回、6章でノアに方舟を造るよう命じた時に、主は「契約」という言葉を使っていましたが、洪水が起こり、1年方舟にいて出て来たこの9章でも「契約」という言葉が出て来ます。これは別々の契約ではなく、ノアに与えられた一つの契約です。ノアだけでなく、ノアの後の子孫と、すべての生き物との間に、主はこの契約を立てると仰っています。それは、再び大洪水や大きな禍によって、地の生き物、すべての肉なるものを滅ぼすことはしない、という契約です。「契約」というと、両者がそれぞれの義務を果たす、というものもありますが、主の契約はまず主ご自身の一方的な宣言があります。無条件の約束があります。そして、それに対して応答する生き方が人間に求められます。ここでは、4節から7節で言われるように、人が動物を食べる時にも血を抜くことで動物の命に敬意を払うこと、そして殺人は犯人が死罪を求められる程、重い罪、ひとのいのちを尊ぶ、という在り方です。それは、命を守る神に対する、人の応答です。

 ノア契約は、神が世界を大洪水で決して滅ぼさないと強く約束されることを通して、神がこの世界のいのちを大事にしていること、積極的にこの世界を保持し、いのちで満たそうとしていることを明らかにしています。8章21節22節でも

「…わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。
22この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」

と神は決心を言われました。生き物を討ち滅ぼさないだけでなく、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、季節や自然のサイクルを循環させなさる。その収穫によって、動物も生きていきますし、人間も農業や生活が可能になって生きていけます。神は、消極的に「滅ぼさない」だけでなく、積極的に季節を巡らせて、食べ物を与え、

9:7あなたがたは生めよ。増えよ。地に群がり、地に増えよ」

と言われるのです。洪水前の世界は、人が暴虐で弱者を滅ぼすような社会でした。洪水後の再出発に当たって神が明言されるのは、人のいのちの尊さ、動物の命への敬意です。そして、命への尊厳を踏まえて、地に群がり、地に増えていくことが、ノアへの契約に込められた神の御心でした。

 そこで神が改めて、契約のしるしとして与えられるのは「虹」です。

九12~15…「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。
わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。そのとき、わたしは、わたしとあなたがたとの間、すべての肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い起こす。大水は、再び、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水となることはない。」

 神は雲の中の虹を見て、契約を思い起こして、大洪水は起こさない、命を滅ぼさないと誓った契約を果たす、と仰るのですね。虹を見たらこの箇所を思いだしてください。ただの自然現象だとかキレイだなぁと思うだけでなく、

「神が虹を見て『契約を思い出す』と約束してくださった」

と思い出してください。今でも、大雨や豪雨被害はあちこちで起きます。それを「神の怒りだ、天罰だ」「誰かの罪のせいだ」などと無神経に口走りたがる人がいます。ノア契約はそれとは正反対のことを語ります。神は、人のうちに悪があることを十分承知の上で、決して私たちが滅びることを願ってはおられない。神はこの世界を保持して、雨を止ませて、虹を立てて、命を祝福しようと願うのです。私たちが虹を見つけなくても、神が虹を見て、契約を思い起こす、と言われます[1]

 更に「虹」という言葉は元々のヘブル語では弓矢の「弓」です。雲の中の弓といえば虹なのですが、あのアーチは武器の弓を思わせます。その弓が雲の中に現れる時、神はそれで人を攻撃したり罰したりせず、滅ぼさない約束を思い出されるのです。だから私たちが見る虹は、人を狙って地に向かう向きではありません[2]。神は、人の悪や問題を熟知した上で、それゆえに滅ぼすぞ罰するぞと脅しても解決にならないことをご存じです。

 神が私たちに覚えさえられるのは、神が世界を保っていることです。天候や季節や自然のサイクルを保って、私たちを生かしてくださっている。そのメッセージを、大空の虹-美しい弓に託して、神の私たちに対する愛、恵みへと心を向けさせなさるのです。勿論、このノア契約だけでは終わりません。やがてノアの子孫からアブラハムが選ばれてアブラハム契約が結ばれ、モーセ契約、ダビデ契約、最終的にはイエス・キリストの「新しい契約」で、神の契約は完全に現されることになります。その最初の段階で、神は「ノア契約」を与えて、神の契約の土台、大前提を示されました。それは、神はこの世界を保って、そこにいる人間も動物も、大事な命を滅ぼしたくない、その命を生かしたい、という契約でした。そして、私たちにも命を大事にし、植物や動物を頂く時も感謝して丁寧に戴き、互いにも生かし合うこと、命を損なってはならない。そういう「ノア契約」という土台・大枠が、ここで示されたのです。

 今日交読したイザヤ書も、ノアの契約を根拠に、神の恵みを確証していました。

イザヤ五四9-10これは、わたしにはノアの日のようだ。ノアの洪水が、再び地にやって来ることはないと、わたしは誓った。そのように、わたしはあなたを怒らず、あなたを責めないと、わたしは誓う。10たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。──あなたをあわれむ方、主は言われる。」

 ノアに誓った契約、つまり今この世界があり、地が保たれ、命が営まれていること自体、神の平和の契約、主の憐れみの確かな証拠なのです。他にもエレミヤ書で主はこう言われます。

三三25もしも、わたしが昼と夜と契約を結ばず、天と地の諸法則をわたしが定めなかったのであれば、26わたしは、ヤコブの子孫とわたしのしもべダビデの子孫を退け、その子孫の中から、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ぶということはない。しかし、わたしは彼らを回復させ、彼らをあわれむ。[3]

 昼と夜が来ること、天地の自然法則、全てが神の御真実のしるしです。それも、一般的な意味で宇宙が神の御業だ、というのではありません。神に逆らい、世界も、人間同士も傷つけ合ってしまう人間を、神は憐れんでおられる。何としてでも人を回復させる目的に向けて、神は今日も昼と夜を巡らせています。太陽を上らせ、雨を降らせています[4]。虹を見なさい、空の鳥を見なさい、野の花を観察しなさい、とイエスも言われました。それは、「上手な物の譬え」でなくて、虹も太陽も鳥も花も私たちの命も体も、神が一つ一つ支えているからです。それも、人間を愛して、人の悪を深く悲しんで、そこから回復させよう、神との関係も世界や他者や自分との関係も回復させようという、神の側の決心があっての、この世界なのです[5]

 世界の全てのものは、神が支えている舞台です。世界が滅びないよう、必要なものや良いもの、美しいものがあり、人の心や生き方に喜びや優しさや良心があるのも、全ては神の恵みによります。これを「一般恩恵」と言います。何一つ自然で当たり前で、神とは関係なくあるものはなく、神の積極的な御業があり、神の真実を証言しています。奇蹟や特別な出来事だけで「神はいるなぁ」と言うばかりでなく、毎日の自然の営みや、私たちの体が規則正しく動いていることが神の御業、「奇蹟」一般恩恵であり、それは神が私たちを選び、回復させ、あわれんでくださることの証拠なのです。そして虹を見るときには、主が雲の中の虹を見て、この契約を思い起こしているのだよ、と言われます。そういうしるしまで与えて、私たちを励ましてくくださる主なのです。この世界を見る目を開かれましょう。禍があってもそれでも世界の営みに、希望を持てる眼差しを、神は宣言されています。それが「ノア契約」なのです。

「天地万物の主よ。日が昇り、春が訪れ、食べ物を戴き、世界の輝きを通して、あなたの恵みを戴いています。支えてくださる憐れみを感謝します。今から新しい契約のしるし、聖餐に与ります。パンも杯も、この体も、あなたの御手が真実な証しです。私たちへの揺るがない恵みを信頼して、私たちも小さな事を喜び、環境を守り、命を尊び育む歩みをさせてください。」



[1] いやそれどころか、神が雲を起こすとき、雲の中に虹が現れるというのは、雨の後の虹とは違います。大雨を降らせた後に、虹が起きて、それを神が見て契約を起こす、じゃ「後の祭り」かも知れません。だからここで言われているのは、雨の前の虹です。雨の前、神が雲を起こすとき、そこに現れる「雲の中の虹」は神だけが見るでしょう。その虹を見て、雨が起きる前から、神はそれで地を滅ぼすような大雨にはしないと思い出す、という約束です。私たちが雨の後に虹を見るとき、私たちが虹を見て契約を思い出すことが大事なのではなくて、その雨の前に、すでに神は虹を見て、契約を思い出してくださっている。神は私たちへのいのちの約束を、世界に対するよいご計画を決して忘れるお方ではない。そう思い起こさせて戴けるから有り難いのですね。

[2] サリー・ロイドジョーンズ『ジーザス・バイブル・ストーリー』では、虹が天に向けられていることを強調して忘れがたい解説をしています。「神さまは、今でもにくしみ、悲しみ、死がだいきらいだ。この世界からすべて悪いことをとりさるための戦いにいどむため、神さまはあの大空においた、美しい弓矢を手に取られる。矢をつがえて、弓をきりきりとひいてねらうまとは、人間でも、この世界でもない。それは、ただまっすぐに天国の中心にむけられている。」(廣橋麻子訳、いのちのことば社、2009年)47頁。

[3] また、エレミヤ書三三19以下「エレミヤに次のような主のことばがあった。20主はこう言われる。「もしもあなたがたが、昼と結んだわたしの契約と、夜と結んだわたしの契約を破ることができ、昼と夜が、定まった時に来ないようにすることができるのであれば、21わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ、ダビデにはその王座に就く子がいなくなり、わたしに仕えるレビ人の祭司たちと結んだわたしの契約も破られる。22天の万象は数えきれず、海の砂は量れない。そのようにわたしは、わたしのしもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人を増やす。」23エレミヤに次のような主のことばがあった。24「あなたはこの民が、『主は自分で選んだ二つの部族を退けた』と話しているのを知らないのか。彼らはわたしの民を侮っている。『自分たちの目には、もはや一つの国民ではないのだ』と。」25主はこう言われる。「もしも、わたしが昼と夜と契約を結ばず、天と地の諸法則をわたしが定めなかったのであれば、26わたしは、ヤコブの子孫とわたしのしもべダビデの子孫を退け、その子孫の中から、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ぶということはない。しかし、わたしは彼らを回復させ、彼らをあわれむ。」。またホセア二18以下「その日、わたしは彼らのために、野の獣、空の鳥、地面を這うものと契約を結ぶ。わたしは弓と剣と戦いを地から絶やし、彼らを安らかに休ませる。19わたしは永遠に、あなたと契りを結ぶ。義とさばきと、恵みとあわれみをもって、あなたと契りを結ぶ。20真実をもって、あなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知る。21その日、わたしは応えて言う。──主のことば──わたしは天に応え、天は地に応え、22地は、穀物と新しいぶどう酒と油に応え、それらはイズレエルに応える。23わたしは、わたしのために地に彼女を蒔き、あわれまれない者をあわれむ。わたしは、わたしの民ではない者に「あなたはわたしの民」と言い、彼は「あなたは私の神」と応える。」

[4] マタイ五45「天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。」

[5] ヨハネの黙示録では、4章3節に「その方は碧玉や赤めのうのように見え、御座の周りには、エメラルドのように見える虹があった」とあります。天地を裁く義なる方の御座の周りに「エメラルドのように見える虹があった」。神の良き計画のしるしと証印が、キリストが終わりの日に就く場所の周りを取り囲むのです。(ロバートソン)

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