聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

Ⅱサムエル記7章18~29節「この方が私たちの王 聖書の全体像23」

2019-08-18 18:15:02 | 聖書の物語の全体像

2019/8/18 Ⅱサムエル記7章18~29節「この方が私たちの王 聖書の全体像23」

 「聖書の物語の全体像」をお話ししています。このⅡサムエル記七章は、ダビデ王に主が約束されて、ダビデの家から「永遠の王」が出ると宣言された、大切な節目です。羊飼いであった少年ダビデを選んで王となさったばかりか、その子から永遠の王を起こす。その王が、主の民を正しく治めて、恐れ戦いたり、不正な支配者に苦しめられたりしないようにしてくださる。そういう確かな将来も含んだ、大きな約束がここにあります。これは詩篇八九篇[1]、一三二篇[2]などで

「契約」

と言われ、「ダビデ契約」とも呼ばれます。この「ダビデ契約」を聞いて、ダビデが主の箱の前に行き、感慨を漏らして語っている長い祈りが今日読まれた箇所です。

18…「神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。19、主よ。このことがなお、あなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。、主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。

 圧倒されている告白が続きます。自分が王になっただけでも大きな恵みなのに、そればかりか遥か先の事まで約束してくださった。その事に驚いて、主を誉め称える言葉が続きます。このダビデの告白が長々とここに記されることで、私たちも主がしてくださることがどれほど驚きか、どれほど大きな、思いがけない祝福かを思い起こします。聖書には驚きが満ちています。イエスがなさったことも弟子や群衆達を驚かせ続けました。私たちの信仰には、正しさとか清らかさだけでなく、驚きがあります。神は真面目であるより私たちを驚かせる方。キリスト者の信仰の特徴は、謙虚や自己否定よりも、驚きや期待なのです。こうも言われています。

23…地上のどの国民があなたの民イスラエルのようでしょうか。御使いたちが行って、その民を御民として贖い、御名を置き、大いなる恐るべきことをあなたの国のために、あなたの民の前で彼らのために行われました。あなたは、彼らをご自分のためにエジプトから、異邦の民とその神々から贖い出されたのです。24そして、あなたの民イスラエルを、ご自分のために、とこしえまでもあなたの民として立てられました。主よ、あなたは彼らの神となられました。

 神はイスラエルをご自身の民となさった。その事自体が主のユニークさ、吃驚(びっくり)せずにおれない恵みでした。決して大きくも立派でも善人ばかりでもないイスラエルを、一つの国にしてくださったこと、そして、そこに

「とこしえまでもあなたの民」「あなたは彼らの神となられました」

という、確かな結びつきを下さいました。この

「主があなたがたの神となり、あなたがたが主の民となる」

という文言は、アブラハムの時から繰り返されていた、聖書の契約の定型文です。大事な概念の言葉です[3]。しかし、このⅡサムエル記七章のここだけが、将来の約束でなく、

「あなたは彼らの神となられました」

と唯一、過去形で表現している箇所です。ダビデは本当に主の契約が果たされ、自分たちが主の民とされていると告白し、主の御名をほめたたえているのです。そして、その約束に基づいて、25節以下の祈りで応答しています。

 しかしこの後、ダビデは誠実な統治を通したわけではありません。ダビデは人として多くの欠点を晒します。特に11章では、部下の妻を召し入れて妊娠させて、その部下と他の兵士たちを戦場での死に追いやらせるのです。ダビデが特別立派だったとか信仰深かったから、神がダビデを選んだ、のではありません。ダビデを選んだのは主ご自身の不思議な恵みです。ダビデが王の立場を乱用して悪を行うなら、主はダビデをハッキリ責めて、悔い改めを迫ります。でも、主はこの契約を守って、ダビデを王座から退けません。それだけでなく、ダビデの後の時代も、主はこのダビデ契約に基づいて、ダビデの子孫の王座を支え続けるのです。

 旧約聖書の後半を一気に観ましょう。ダビデの息子のソロモンは、ハッキリと主から心を離して、他の神々に礼拝を捧げ、主の契約を守らなくなってしまいます。それで、主はソロモンの次の時代に、王国を半分に引き裂きます。紀元前九二二年頃、イスラエルの国は南北に分裂します。北がイスラエル王国、南がダビデのユダ部族を中心とするユダ王国です。しかし、その事を予告するⅠ列王記11章でも、主はソロモンにこう言われるのです。

12…あなたの父ダビデに免じて、あなたが生きている間はそうしない。あなたの子の手から、それを引き裂く。13ただし、王国のすべてを引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与える[4]

 「ダビデに免じて」…。この言葉はソロモンの後にも繰り返されます。「ダビデに免じて…ダビデのために」と5回繰り返されます[5]。ダビデの子孫らはしくじりながらも退けられず、回復を与えられます。北イスラエルは違います。210年の歴史で二十人の王が乱立して十の王朝が入れ替わり、722年にはアッシリア帝国によって滅ぼされます。一方の南ユダ王国は586年にバビロンによってエルサレムが陥落するまで、ダビデ王朝の20人が続きます(一時期、異国からの女王が君臨しますが、それも摂理的に終わります[6])。それでも悔い改めずにますます堕落していったため、最終的には主のさばきとして、バビロンによって打ち負かされます。しかしそれまで四百年続きました。一つの王朝が四百年続いた例は歴史上ありません(徳川時代も二六〇年です)。これ自体が主の特別な憐れみです。旧約に、この世界に現実にあった王国時代が、何はともあれ、長く詳しく記されています。それ自体が、ダビデ契約の証しです。神がこの地に御心にかなった王座を立てるのです。神の御国が永遠に続くことを見据えておられるのです。ダビデ契約は、世界に対する主のご計画が、神の国の確立にある現れです。

紀元前千年 ダビデ王即位
前九二二年 王国、南北に分裂
  南ユダ王国             北イスラエル王国
・ユダ部族中心            ・10部族
・ダビデ王朝(一時除く)       ・10の王朝乱立
・王20人               ・王20人
・400年の歴史            ・200年の歴史
・586年、バビロンにより陥落、捕囚  ・722年、アッシリアにより滅亡
・539年から帰還           ・離散

 その後、イエスがおいでになって、「神の国の福音」を語りました。

マルコ1:14…イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。15「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

 時が満ちて神の国が近づいた。あなたのそばに神の国が始まったと語りました。「天国」の話ではなく、この世界に神が王となる「神の国」です。言わばダビデ契約の完成です。「福音」という言葉もただの「良い知らせ」という以上に、「新しい王が即位した」「皇帝に世継ぎが生まれた」という場合に使われたそうです。勿論、それは「皇帝目線」の押しつけでしょうが、本当に良い王の即位は確かに国にとって素晴らしい知らせです。イエスの福音は、ダビデに約束されていた永遠の王がおいでになった、という宣言です。民を不安から救い、幸いを下さるため、神が遣わした王。そして民のために命を捧げ、民に仕え、民を育ててくださる王です。私たちの王であるだけではありません。世界全体を、神の恵みの御国となさるのです。全てのもの、目に見えるものも見えないものも、神を信じない者も全てを、イエスは治めています。

 その支配は余りにも大きくて、深くて、私たちには到底理解できません。それでも、イエスが王としてすべてを治めていて、私たちの近くにいて、最善をなし、御心をなさる。私たちはそう信頼して、自分が心を込めて出来ることをしていけばよいのです。神は、ダビデとその子らを憐れみつつ、決して悪い支配や独善的な統治を放っておきませんでした。その神が遂に遣わして下さった王を、私たちは信頼して、希望を持つことが出来ます。そのイエスが教えて下さる「神の国」がどのようなものか、罪や罰や競争ではなく正直で恵みと喜びに満ちた神の支配を信じるとは今どう生きることなのか。御言葉を通して教えられていくのです。更に、私たちが、ダビデ契約も含めた聖書全体の大きな物語の中で、イエスがおいでになったことを知り、やがてこの世界に永遠のイエスの国が訪れるゴールに向かっている。それを驚きながら、今ここで、神の国の民として生かされ、その生き方を学びつつ歩んでいるのがキリスト者なのです

「世界の王なる主よ。あなたの約束がダビデを驚かせたように、私たちもダビデの子イエスの言葉を聞く度に、驚きを新たにさせてください。イエスが永遠の王として来られたという福音を、廃れることのない希望、不安よりも強い信頼として受け止め、伝えさせてください。あなたの庭であるこの世界で、生き、働き、遊び、歌い、御名をともに誉め称えさせてください」



[1] 詩篇八九篇「28     わたしの恵みを 彼のために永遠に保つ。わたしの契約は 彼にとって確かなものである。29わたしは 彼の子孫をいつまでも 彼の王座を天の日数のように続かせる。30もし その子孫がわたしのおしえを捨てわたしの定めのうちを歩まないなら31また もし彼らがわたしのおきてを破りわたしの命令を守らないなら32わたしは杖をもって 彼らの背きを むちをもって 彼らの咎を罰する。33しかし わたしは彼から恵みをもぎ取らずわたしの真実を偽らない。34わたしは わたしの契約を汚さない。唇から出たことを わたしは変えない。35わたしはかつて わが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わないと。36彼の子孫は とこしえまでも続く。その王座は 太陽のように わたしの前にあり37月のように とこしえに堅く立つ。その子孫は 雲の上の確かな証人である。」セラ」

[2] 詩篇一三二篇「11主はダビデに誓われた。それは 主が取り消すことのない真実。「あなたの身から出る子を あなたの位に就かせる。12もし あなたの子らが わたしの契約と わたしが教えるさとしを守るなら 彼らの子らも とこしえにあなたの位に就く。」」

[3] 聖書の「救い」とは私たちがただ幸せになるとか楽園に行くという「極楽浄土」ではなく、私たちがイエス・キリストを通して神との関係を回復されることです。私たちが主の民となることです。それが聖書で繰り返されている約束です。

[4] Ⅰ列王記11章「11そのため、主はソロモンに言われた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約と掟を守らなかったので、わたしは王国をあなたから引き裂いて、あなたの家来に与える。12しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたが生きている間はそうしない。あなたの子の手から、それを引き裂く。13ただし、王国のすべてを引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与える。」」

[5] Ⅰ列王11:32「ただし、ソロモンには一つの部族だけ残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだ都、エルサレムに免じてのことである。」、11:34「しかし、わたしはソロモンの手から王国のすべてを取り上げることはしない。わたしが選び、わたしの命令と掟を守った、わたしのしもべダビデに免じて、ソロモンが生きている間は、彼を君主としておく。」、15:4「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、彼のためにエルサレムに一つのともしびを与えて、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。」、Ⅱ列王8:19「しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。」、19:34「わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。』」」、20:6「わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加える。わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの都を守る。』」」。

[6] Ⅱ列王記十一章。

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