人には好みというモノがあります。
嫌いなモノも有ります、私は「キュウリ」が苦手です。
小学校の時に、田舎のおばあちゃんが箱に一杯のカブトムシを贈ってくれた時に
そのエサとして一緒に入っていたのがこのキュウリでした、その時の虫の臭いと
キュウリの青臭い臭いを一緒に吸い込んでしまってから、キュウリを食べる時に
虫の香りが脳裏に漂ってしまい、あれ以来食べれなくなりました。
味とかは年齢と共に好みも変わりますので年月と共に食べられる様になるのも多い
しかし、匂いや香りの記憶は脳の中枢部分に危険なモノとして焼き付いてしまって
本能が危険と認識してしまっているのでダメです。
でも、この苦手という意識は意外とその対象に対して注目している事の裏返しで
案外、意識が変革すると全く逆の好きという感覚にも転じやすい性質もあります
気付く、意識が向くというのは一つの才能ですからそれ自体は良いことです
後は意識というソフトの部分さえ書き換える事さえ出来れば良いのですが
なかなか自分の価値観を変換するのは難しい事ですね。
だから、人前で話すのも苦手だったのが壇上で話す事が出来るようになるのも
カウンターバランスとして起こりうる事かも知れません。
目に付く苦手なこと、意外と試すと得意分野として開花するかも知れませんね、
43にもなって「キュウリ」も食えない奴が偉そうに言う事じゃないですが、
正反対の対極にいるのも案外自分らしさなのかも・・・
嫌いなモノも有ります、私は「キュウリ」が苦手です。
小学校の時に、田舎のおばあちゃんが箱に一杯のカブトムシを贈ってくれた時に
そのエサとして一緒に入っていたのがこのキュウリでした、その時の虫の臭いと
キュウリの青臭い臭いを一緒に吸い込んでしまってから、キュウリを食べる時に
虫の香りが脳裏に漂ってしまい、あれ以来食べれなくなりました。
味とかは年齢と共に好みも変わりますので年月と共に食べられる様になるのも多い
しかし、匂いや香りの記憶は脳の中枢部分に危険なモノとして焼き付いてしまって
本能が危険と認識してしまっているのでダメです。
でも、この苦手という意識は意外とその対象に対して注目している事の裏返しで
案外、意識が変革すると全く逆の好きという感覚にも転じやすい性質もあります
気付く、意識が向くというのは一つの才能ですからそれ自体は良いことです
後は意識というソフトの部分さえ書き換える事さえ出来れば良いのですが
なかなか自分の価値観を変換するのは難しい事ですね。
だから、人前で話すのも苦手だったのが壇上で話す事が出来るようになるのも
カウンターバランスとして起こりうる事かも知れません。
目に付く苦手なこと、意外と試すと得意分野として開花するかも知れませんね、
43にもなって「キュウリ」も食えない奴が偉そうに言う事じゃないですが、
正反対の対極にいるのも案外自分らしさなのかも・・・