新山口駅の新幹線ホームから在来線の方を見ていると、突然鳴り響く汽笛の咆哮
吹き出す蒸気と煙が、蒸気機関車だと知らせてくれました。
写真を撮ろうと思って構えたのですが、風がこちらに向って吹き付けていて
煙で殆ど見えませんがその向こうに確かに蒸気機関車が走って行くのが見えました
何年ぶりに生で蒸気機関車が走っているのを見たのか記憶にありませんが本当に
感動的でした、幼い頃の記憶が甦って来て田舎で遊んでいた時の川の流れや
田んぼのあぜ道を思い出しました。
山口から帰ってきて、家の近所の駅に着いたときに見た山の稜線のシルエットが
何だか落ち着く感じがするなと思った時に、人の記憶にある付箋のような思い出は
蒸気機関車でも近所の山の稜線でも意識さえすれば思い出す、自分を包んでくれて
支えになっている「何か」なんだと思います。
日常の些細な「何か」に普通に反応が出来る心身共に健康な状態であることが
大事だなと思いました。
汽笛と煙、山の稜線、ドングリの木、目に映るものは同じでも感動は違います。
吹き出す蒸気と煙が、蒸気機関車だと知らせてくれました。
写真を撮ろうと思って構えたのですが、風がこちらに向って吹き付けていて
煙で殆ど見えませんがその向こうに確かに蒸気機関車が走って行くのが見えました
何年ぶりに生で蒸気機関車が走っているのを見たのか記憶にありませんが本当に
感動的でした、幼い頃の記憶が甦って来て田舎で遊んでいた時の川の流れや
田んぼのあぜ道を思い出しました。
山口から帰ってきて、家の近所の駅に着いたときに見た山の稜線のシルエットが
何だか落ち着く感じがするなと思った時に、人の記憶にある付箋のような思い出は
蒸気機関車でも近所の山の稜線でも意識さえすれば思い出す、自分を包んでくれて
支えになっている「何か」なんだと思います。
日常の些細な「何か」に普通に反応が出来る心身共に健康な状態であることが
大事だなと思いました。
汽笛と煙、山の稜線、ドングリの木、目に映るものは同じでも感動は違います。