物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

城山散歩

2012-10-15 11:02:12 | 日記・エッセイ・コラム

先週の土曜日の午後ポントリャーギンの「数概念の拡張」(森北出版)の四元数の章を読もうかと思ったが、どうも頭がそのときは受けつけてくれそうになかったので、気分転換を兼ねて本当に久しぶりに松山城の城山に登ることにした。

午後2時少し前に歩いて出かけたが、東雲神社の階段を上がるのがちょっと大変に思えたので、その横の坂を本当にゆっくりと上がっていった。なにせ平地でも歩くことをほとんどしないので、ましてや坂をあがることはかなりきつい。

カタツムリのようなのろさで上がっていった。隣を黒いシャツを着た若い人が登っていく。私がのろのろ行くので、いつのまにか見えなくなった。

途中、市街を展望できるところで市街を見下ろした後で、いくつかの門を潜り抜けてようやく頂上の広場に着いた。観光客は城の天守閣に登る窓口の方へ行っていたが、私は別に天守閣に登る訳ではないので、天守閣の周りを一回りして帰ることとした。

裏側の北の方へ回ると日陰となっていて、涼しくかつ人もほとんどいない。大学に勤めていたときには研究室の窓からほぼ毎日天守閣の上の方だけを眺めていた、下のほうは城山の木で見えなかったからである。

逆に愛媛大学が城山からは木々が繁ってきてあまりよく見えなかった。昔は見える場所があったはずだが、特に見たいとも思わなかったので、そういう愛媛大学が見える場所を探すことまではしなかった。

それで、天守閣の周りを一回りして広場に出たら、観光客のために3人のマドンナの服装をした若い女性が日傘をさして立っていた。彼女らの前を通り過ぎようとしたとき、マドンナ嬢の一人から気をつけてお帰りくださいと声をかけられた。よほどよたよたと危なつかしく歩いていると思えたのであろう。サービス精神がさすがに旺盛である。「有難う」と簡単に返事をしてそこを離れた。

坂をゆっくりと下りていたら、私の登りのときに後ろから追い越していった若い黒シャツの若い人が下から登って来るのに出会った。何回目ですかと声をかけたら、「3回目です」と答えがあった。


ブログ1900回を越す

2012-10-13 11:24:05 | 日記・エッセイ・コラム

先回の「原節子」でブログの回数が1900回となった。これからは2000回を目指していきたい。

しかし、我ながら書きも書いたりという気がする。まずよくも1900回のネタがあったなというのが、偽らざる感慨である。

一人の人が書くブログなので、どうしても話題の重複は避けられない。もっとも同じ話題でも書くときの気分は同じではないので、まったく同じ文章であるはずがない。それは当然だが、ある場合には決定稿ができるまでに10回近く文章の修正をしたこともある。

それでもやはり後で読んでみるとどこかおかしいこともあり、やむなくその後の修正を加えている場合もある。だから、登録された日にちは残っているが、文章それ自身はその後に細かな修正がされていることがある。

100回のブログを書くには4ヶ月以上かかるので、2000回目は(そのときまで私が生きているという仮定すれば)どう考えても今年中には無理で、順当にいっても来年の2月であろう。

普通の人が一年に300回もブログを書くのはちょっとクレイジーであるかもしれない。が、ともかくブログをはじめて9年目にようやく2、000回目に達することが期待される。


原節子

2012-10-13 11:06:20 | 映画

原節子は日本一の美女である、という思い込みが私にある。これは私の亡き母がそうよく言っていたためかもしれない。

私がもの心がついたころには、まだ多分原節子は映画に出演していたと思うが、どうもその面影をあまり覚えていない。時々何かの拍子で彼女の出演していた映画の断片を見たりしたことはあったが、それでもよくは覚えていない。

シネマルナティックにそのうちに原節子の昔の映画「新しき土」が来るようなので、妻と二人で見に行こうかと考えている。どうして原節子などという名前を思い出したかだが、それがよくわかならない。

先日新聞で原節子さんが92歳でまだ存命であるというような、記事をちらっと読んだような気がするが、それも定かではない。最近、伝説の女優原節子のことを書いた本が出ているのを新聞広告で見た。

あるとき、映画界から完全に引退をして、それからは世間の話題となるようなことを嫌って、ひっそりとくらしているとかいうのが、世間や私の知るすべてである。

しかし、映画の上ではまだ若々しい原節子に接することができる。映画は不滅である。


ips細胞

2012-10-12 11:58:26 | 学問

ips細胞をドイツ語でなんと言うかと昨夜のドイツ語のクラスで話題となった。それでips細胞の詳しい名をinduced pluripotent stemm cellsとホワイトボードに書いた。また日本語では人工多能幹細胞と言われていると付加した。

それにR氏のつけたドイツ語訳はk"unstliche (angeregte) mehrfunktional Stammzelleであった。これは英語と日本語の両方を参照しての訳語であり、ドイツで実際にはどう呼ばれているかは知らない。特にmehrfunkitionalのところは私が「多能」のところを間違えて「多機能」としたのでこういう訳となっている。

inducedを「人工の」と訳がついているが、私などはこのinducedとあれば、光の発生法の一つとしてのinduced emissionを思い出した。このときのinducedは普通は誘導と訳されており、induced emissionは誘導輻射と呼ばれる。

光の発生法としてはその他にspontaneous emissionというのもある。これは自発輻射と訳されている。

外から光がある物質に照射されて、それと同じ波長(周波数)で位相も同じ光がその物質から放出するのを誘導輻射induced emissionというが、そういう外部からの物質への光がないのに、物質が自発的に光を放出することがあり、これは自発放射spontaneous emissionである。

そして、前の方のinduced emissonはレーザー技術で基本となる、光の放出法である。大体、このレーザーLASERという語はLight Amplification by Stimulated Emission of Radiation の頭文字をとったのである。

ここで、stimulated emissionはinduced emissionの別のいい方である。

レーザーの基礎概念としては負温度分布(反転分布)とか、この誘導輻射とか光共振器とかがある。だが、一番の基本となるアディアは誘導輻射である。


核融合と核分裂

2012-10-12 11:00:46 | 物理学

核融合(nuclear fusion, Kernfusion)と核分裂(nuclear fisson, Kernspaltung)とは英語ではよく似た語である。普通に原発というときにはその出てくる熱エネルギーは核分裂によるものである。

この核融合を人工的に持続して行うことはまだ人類は成功をしていない。だから、核融合によって将来エネルギーを制御した形で取り出せるかは今もって明らかではない。

私が学生の頃、それは1950年代の終わりから60年代の初めの頃だが、核融合の成功の確率は50-50と言われていたが、その比率がそれより大きくなっているという感覚を私はもっていない。

もっとも私は専門家ではないので、知らないだけの話かもしれないが。もう十年以上前に聞いた専門家の話では核融合は原理的にできており、問題は融合炉をつくる材料屋の問題だとその専門家は言っていた。

ところが、私の記憶では融合炉の壁をLi金属で作るという話だったようだが、熱で一年に70センチも蒸発してしまうとか。それではなかなか融合炉をつくることは難しかろうと思う。

もちろん、直接に核融合の材料をLi金属の壁で囲む訳ではない。一般に強力な磁場で高温のプラズマを閉じ込めてその大分離れたところにLi金属でできた融合炉の壁があるのだろう。それでも一年間に70センチの金属の壁がその発生した熱で蒸発すると聞くと、これは材料屋の問題だなどと言って済ますわけにはいかないのではないか。

日本にも核融合研究所といわれる専門の研究所がある。そこで、地道に研究を続けることはたとえ制御核融合からエネルギーを取り出して使うことに関して、予想がネガティブでもするべきことであろうが、しかしそれにあまりに過大な期待をするべきではなかろう。

この核融合研究所はもともとプラズマ研究所といわれていたと思う。プラ研は名古屋大学の附置研究所であったが、いまでは独立の研究所になっていると思う。


シュレディンガーの猫

2012-10-11 12:52:05 | 物理学

今年のノーベル物理学賞の受賞者アロシュ氏とワインランド氏は量子的な重ね合わせの状態をつくり、それを操作できるようにしたという。

重ね合わせの状態をつくることも、それを操作することもすばらしいと思うが、操作するとその状態が壊れはしないのだろうか。

これは、今日の朝日新聞の解説記事で知ったことだが、そこらへんを知りたいという気がする。この記事の導入部にシュレディンガーの猫の思考実験の話があるが、これは人間が観察するまで猫の生と死の重ね合わせであるはずはないので、パラドックスは見かけのことだと思う。

しかし、量子力学的レベルでの重ね合わせの実現とその操作による、その重ね合わせの状態の壊れの様子の観測とか、また、もともと重ね合わせの状態となっているということをどうやって知るのだろうか。そういう疑問がわく。

重ね合わせの状態の操作とは何を意味するのか。さらに、二つの状態の重ね合わせが実現するのなら、3つとか4つとかの重ね合わせも原理的には実現できるということだろうが、そういうことも可能になっているのであろうか。

私の子どもの学生時代の友達に森田君という人がいて、彼はそういう量子力学の観測問題についての本を書いているらしい。だが、これまでそういう話に関心を持ったことがなかったが、購入してよんでみようかと思い始めた。


secret collector

2012-10-10 11:30:38 | テレビ番組

TEDカンファランスのNHKの番組で今週の月曜にsecret collectorの人が話をしていた。その後の解説でsecretのはがきを書く要領として、3つのことが上げられていた。

1.Be brief (簡潔に)

2. Be legible (読みやすく)

3. Be creative (創造的に)

これはどんな文章を書くときの心構えとしてもいいだろう。

ところで、この中でlegibleというは「読みやすい」という意味だろうが、英語ならreadableとも言えるだろうか。そこで気になったのはなぜlegibleというような語があるのだろうかということであった。

ドイツ語では読むとはlesenであろう。lesbarという語があるのだろうか。

ということで辞書を調べると確かに存在している。訳としては「判読できる、読みやすい」という訳語がついている。

フランス語では読むはlireであろう。対応した形容詞はlisibleである。そうするとどうもこのフランス語のlisibleにlegibleは近いと思われる。

英語の中に読むにあたる語の関連語として、 l で始まる語がなにか大きな辞書を調べれば出ているのかもしれないが、私のもっているポケット辞典の中には出ていない。

もう何十年前に岩波のPR誌「図書」にlesenは「選ぶ」とか「摘む」という意味があるのだと書いたを読んだことがあった。その例として、ぶどうの収穫のAusleseとかsp"atleseとかが挙げてあった。

これらはいまではドイツワインの等級Qualit"atswein mit Pradikat(法律的に加糖を許されないワイン)のうちの一つになっているが、もともとはAuslese(選り摘み)とかSp"atlese(遅摘み)とかという意味である。

ちなみにQualit"atswein (ohne Pradikat) だと加糖が許されるので、私たちがドイツワインを飲んでこれは甘口で旨いななどと言ってラベルを見ると、ただ単にQualit"atsweinとある場合が多い。それくらい私のような下戸にはワインの味はわからない。

ところで、食事のときなどに水の代わりに飲むワインはTafelwein (table wine) と言われる。これはいわば水の代わりに飲むワインだからお客には出さないと思う。

ついでに言うとvorlesenは講義をするという意味であるが、前で (vor) 読む (lesen) ということから講義をするという意味となる。

いまなら教授が講義ノートをつくってきて読み上げて、学生にそれを書き取らせるなどというタイプの講義をすれば、学生から総スカンを食いそうであるが、昔はテキストなどあまりなかったので、そういう講義でもすることが大学の大きな役目であったのかもしれない。

もっとも私などは講義(Vorlesung)などというと偉そうに聞こえるので、授業がある(Ich habe den Unterricht.) と言っていた。

今日もはじめの話題からおおきくはずれてしまった。


un peu fatigu'e

2012-10-09 15:03:11 | 日記・エッセイ・コラム

今日はJe suis un peu fatigu'e. (ジュ スィ アン プュ ファティゲ:少し疲れている)という感じです。

これは昨日にようやく数学・物理通信2巻5号を発行したのですが、いつもこのサーキュラーを発行した後はちょっと虚脱状態が起きます。

私の二つの原稿はすでに以前に出来上がっていたのですが、それでも発行をしようとして読み直すとつぎからつぎへと修正をしたくなって、読んでも読んでもなかなか終わりにならなかったのです。

そういう経験を自分の原稿がある場合にはいつもしている訳ですが、なかなか自分の満足が得られないでいます。それで本当は自分の原稿をもっと読む込み必要があったのかもしれないですが、見切りをつけて昨日発行をしました。

1巻1号から考えると、これまでにすでに16号の数学・物理通信を発行したことになります。これで12月までしばらく休むことができると思うと一息をつけます。

もっとも次号には、はやくもNさんからの投稿もあり、それにすでにMさんの投稿もあり、またダブルで発行を余儀なくされそうです。しかし、常に投稿があることはとても有難いことです。


ips細胞は現象論的段階

2012-10-09 10:22:57 | 学問

昨夜のニュースはなんといっても山中伸弥教授のips細胞の発見と創製による業績による医学・生理学分野のノーベル賞受賞であろう。これは生物学の常識を覆した大発見である。ノーベル賞をもらっても当然の業績であろう。

だが、もちろんこれは武谷三段階論でいえば、現象論的段階か実体論的段階であり、さらに本質論的段階に進んで行かねばならない。

これは山中教授が見つけた4つの遺伝子がなぜips細胞をつくれるように働くのかという根源的な問いがある。その本質を問うという研究は私などにはわからないが、もうすでに始まっているのだと思う。

もちろん、ips細胞を用いて、難病を治療したり、または再生医療に使ったりすることは、病気の患者さんがおられるのだからしなければならないことであろう。

だが、その普通の体細胞を4つの遺伝子を組み込むことによって、なぜ受精卵類似のips細胞ができるのかの根本の理由を知りたいと思う。

これは多分私の生きている間にはわからないかもしれないが、それが分子生物学レベルでの、または量子力学レベルの問題としてあると思っている。

誤解してもらいたくないのは私が「ips細胞は現象論的段階」と言っても別に山中さんの業績を軽んじたり、貶めたりする意図はまったくないということである。

業績そのものはそれが武谷三段階論から見て、現象論的段階に位置づけられようともとてもすばらしい。このことはどういって見ても変らない事実である。ただ、人間はそこで好奇心が尽きてしまう訳ではないということである。

将来的には彼の研究から、また新しい研究が出て、新しいノーベル賞を産むことになるのだろうと思っている。


体育の日

2012-10-08 12:01:19 | 日記・エッセイ・コラム

今日は体育の日の祝日である。

だが、日曜日以外は休まないように基本的にしているので、仕事場に来た。これは毎日聞いているラジオ講座が土曜、日曜以外は放送があるからである。

ドイツ語講座を土日を除いて、聞いている。30年以上も初級の講座を聞いているのである。それでももちろん都合で聞けない日もあるが、もう何十年も聞いているので、一日二日聞かなくても別に欠損を感じることはない。

だが、ピアニストは毎日腕が落ちないようにピアノを弾くのだという。それと同じで外国語の勉強も毎日する必要がある。だから、初級の外国語講座でも長年聞き続けることは意味があるのではないか。もっともその進歩の程度は亀の歩みのようである。いや、もっと悪いかもしれない。退歩していると感じるときもある。

英語でも実は外国への国際会議等に出かける人でも中学校レベルの英語が達意に話すことができれば、大丈夫なのだと聞いたことがある。もちろん、学会に出かけるのならば、その分野の専門用語等は知っていること等はもちろんであろう。

私の知っている、ある物理の先生は自分の研究室のコロキュウムでは学生に英語で話をさせていたと聞いた。もちろん、そのとき研究室にはアフリカとか中国とかから留学生が来ていたという事情もあったろうが、それだけではなく学生やその先生自身が国際会議に出かけたときに困らないようにとの配慮からであったろう。

だが、英語にしろその他の外国語にしろ日本人であまり外国にも行かない私たちが話すことはやはり難しい。それにその英語を聞くことはもっと難しい。だから、私自身はなんでも外国語の修得はその言葉を聞くことからと考えている。

聞けないとなかなか針の筵に座っているような疎外感を覚える。「英会話1週間」などという本が昔出ていたが、いくつかのフレーズを覚えれば、英語を話すことは限定的にはできても、聞くことができなけれ、意思の疎通はこちらからの一方通行で半分しかできていないと思う。

そうはいうものの、特別な才能もない私にはどちらにしてもとても難しい。

哲学者の見俊輔さんからいつか聞いた話では彼は外国語は聞くことが一番難しいと言われていたように思う。いずれにしてもその当時私の感じていたところとは違っていたように思う。話すのは自分で語彙を考えて話すので、自分の知っている範囲で済むが、相手の使う語彙はこちらからはコントロールできないからである。

もちろん、会話とかならば、聞き返すこともできるし、その意味を説明してもらうこともできるだろう。だが、講演や講義を聞くとか放送を聞くならば、聞き返すことなどできない。


数学・物理通信2巻5号

2012-10-06 18:40:24 | 数学

数学・物理通信2巻5号の発行がようやくできそうな段階に到った。

昨日友人の数学者Nさんから編集後記が届いたので、編集を行ったが、式の番号が正しくないので、それを今日仕事場に来て直していたが、おおよそ修正ができたと思われる。特に問題がなければ、週明けの10月8日(月)に発行の予定である。

これは4号の原稿の積み残しの一部を5号として発行するものである。それでもMさんの投稿は図の入力ができていないし、式の入力もできていないので、6号まで積み残しとなった。これは12月発行予定である。

もっともつぎの号への投稿予定の私の原稿というか、仕事の都合ではまだもっと先にMさんの投稿分は延ばされるかもしれない。これはMさんには申し訳ないことではあるが、やはり自分の仕事が優先となる。

そして、「四元数と回転」が5号に掲載予定のシリーズ2で終わりかと思っていたが、どうもつづきののシリーズ3を書く必要ができたようである。それにまだ回転の表し方にはベクトルによるもの、およびマトリックスによるものもあるので、それらの説明をする必要がある。

それらを終えると、四元数の関係のエッセイは終わりとなるのだが、どこまで続くのかは自分でもわからない。シリーズを始める前には一応の書く内容の予想はしていたのだが、どうもだんだんと書きたい内容が膨らんでいくのである。


政治的意見

2012-10-06 11:49:14 | 国際・政治

私のブログは政治的意見を述べないので、ブログの読者には私が政治的意見をもっていないかのごとく思われるかも知れない。しかし、もちろん政治的な意見をもっている。

だが、それをいろいろとここで披露をすると、その政治的な意見に反対の人から洪水のような攻撃を受けるかも知れない。そうすると、このブログの廃止にせざるを得ない事態にも発展しかねない。

それは私としては困るので、あえて政治的な発言はしないことにしている。だから、私が政治的な意見をもっていないというふうにはとらないでほしい。

どういう話題があるかというと最近では東日本震災復興問題、領土問題、原発問題、経済問題、昨日辺りなら、女性宮家問題等もある。しかし、それらについては触れないという保守的な態度を貫いていきたい。

それに付けても思い出すのは湯川秀樹が彼の著作「天才の世界」で政治家と軍人は取り上げないと言明していた、その態度がとてもよかったという風に思っている。

この「天才の世界」のシリーズは3冊あったと思うが、この態度は保持されていたと思う。石川啄木や空海を天才としてとり上げていたと思うが、山本五十六などはもちろんのことだが、取り上げてはいない。西郷隆盛なども取り上げはしなかった。

そういう態度にはもちろん限界が感じられるかもしれないが、それにもかかわらずそのために彼の「天才の世界」はおもしろい。

湯川が政治的な意見を持たなかったとは思わない。近くに居られる、心を許した物理研究者の方々にはむしろ彼の率直な意見を表明することが多かったかもしれない。だが、社会的にはよほどのことでなければ、発言を自重をされていたのではないかと思う。

その点は湯川より自由に、科学や技術および政治に対する意見表明や批判をされていた、坂田、武谷両氏とはあくまで社会から見たときの重みが違っていたと思われる。または、それぞれの方々の役割分担ということもあるいは意識をしていたのかなと、いま考えている。


小児科医60年

2012-10-05 11:30:54 | 本と雑誌

「小児科医60年」。 これはドイツ語のクラスでいつもご一緒の I 医師の書かれた本である。それを昨夜一部頂いた。まだ全部を読んでいる訳ではないが、何でも60年も続けるとはさすがに敬服である。

これは I さんが松山市医師会報に書かれたエッセイとかその他の関係された雑誌や会報に書かれた文章を集めたものである。京都大学医学部の卒業生であるので、インテリとしてはこの上もない知性の方である。

アメリカ留学時の経験等を含めてなかなか他では知ることのできないような知識や情報満載である。それに文章が上手である。

私も一方ならず文章にうるさいほうだが、読んでいて引っかかるところがない。普通の人が書いた文章だとこれは表現がどうだろうかと思われるところがままあるものだが、それがない。こういうことは実は簡単なようでありながら、とても難しい。

私なども毎日ブログを書いているが、後で読み返すとこれはしまったと思う文章が多く、気がついたときには修正をいつもしている。

だが、自分が前の文章を見ることはなかなかないので、インターネットで検索されて読まれたブログをさてどういう文章を書いていたのだろうと、その検索された履歴から、自分で読み返すことを行い、文章がおかしければいつも修正をしている。

だから、私のブログは前に読んだ方がまたもう一度読み返されたときに前とは細かなところでは違っているかもしれない。それくらいなかなかちゃんとした文章を書けない。

I 医師の場合には、医師である、お嬢さんがかなり綿密に文章をチェックをされるらしいので、凡ミスはなくなっているのかもしれないが、いつも文章を何度も読み返してそれでもミスがなくならない経験をしている身としては、やはりこれは文を書かれたご本人の文章を書く能力が優れていることを示すものであろう。

文章を書くという趣味はなかなか誰でも真似のできる趣味ではないが、一人だけ存じ上げている。それは私の高校の同級生S君の父君のS. S.先生であった。このS. S.先生は今治市では誰でも知っている、有名な外科の医師であったが、彼は東京大学医学部の卒業生であり、若いときにはベルリンに留学されていた。

私が高校生の頃にS君宅を訪ねたときにNHKのドイツ語の講座のテキストが机の上にあり、その講座を聞かれていると、S君から聞いた。これはドイツ語の力が少しでも落ちないようにとの努力をされていたのに違いない。そのことを聞いてその当時、英語でさえもあくせくしている身としては、なんてすごい方が世の中には居られるものだろうと、まったく別世界の人と感じた。

S先生は一時、同期生のS君が出版社を経営していたこともあって、その今治医師会報等に書かれた文章を集めた本を出版されたが、妹がS先生から著書を頂いたので、それを借りて読んだことがあった。

30代の中ごろの私には文章を書くことを趣味するなどということは想像すらできなかった。


関が原と石田三成

2012-10-04 11:31:48 | 日記・エッセイ・コラム

昨年だったか、一昨年だったか妻の従兄が関が原に案内するから一度訪ねて来なさいというので、従兄のところを訪ねたことがあり、そのときに関が原を訪ねたことがあった。

そのときにその土地の博物館を訪ねたら、地元の人の多くは三成びいきであり、家康はタヌキ親父のいかさまやろうという感じであった。私なども小さい頃はそんなことを思っていたかもしれないが、いまではそんな印象はもうもってはいなかったので、その意外さに驚いた。

これは三成が武将としてはあまり戦いが上手ではなかったかもしれないが、三成の治めていた地元ではいい政治を行い、藩民からは慕われていたらしいことを知った。そこらへんが秀吉恩顧の武将たちの多くが三成には従わず、家康についたところと大きなギャップがある。

関が原を訪れたときにも観光客の私たちのまわりをうろちょろする、気の変な人がいたが、その後気が変だとまではいえないかもしれないが、関が原にはちょっと変った人が住んでいることを最近も従兄が文章にして知らせてくれた。

これは従兄が3,4人の人と関が原の古戦場を散策していたときに、付近のあぜ道で草取りをしていた、老人から抜き身の日本刀をもった写真を撮らないかと言われて従兄を除いた3人が抜き身の日本刀をもった写真を撮ったという。

この老人は地元の小学校の校長先生だったとか名乗り、また日本刀は登録をしていると話したという。それにしてもそんな行為は銃刀法違反ではないかと妻は言っていた。従兄はこの人を三成の亡霊だいう風に解釈をしている。

ひょっとしたら、この話は私たちと従兄の友人たちを楽しませるための、従兄の創作であるのかもしれない。岐阜県の県警さん、あまり真面目にお取にならないようにしてください。


「灼熱の魂」から

2012-10-03 11:03:22 | 映画

先日の9月30日シネ・ルナッティックでカナダ映画「灼熱の魂」を見た。内容はなかなか強烈なもので、ちょっとここでその筋書きをお話しする気が起きない。

しかし、これはカナダのケベック州の映画であるので、私のわからないアラビア語(?)だけでなく、フランス語がかなり話されていた。その中で特に気を引いたフランス語の二つ、三つを取り上げる。

一つはconciergeである。私などはフランスのアパートの管理人がconciergeであると思っていたので、この映画では学校の用務員という訳語が目新しかった。「私はただの学校の用務員にしか過ぎない」。双子の姉弟の弟が母の死後にその足跡を尋ねて、ある監獄の関係者を訪ね歩いたときに出会ったある男の言い訳である。このconciergeという言葉の響きがとても重たかった。

母はある中東の国の出身なのだが、その国では信じる宗教のゆえか民族の違いか、その経緯はよくわからなかったが、内戦になって、その一方の派の指導者を母はピストルで射殺するという行為を行ったので、15年の刑を受ける。

そのときの苦難と運命がこの映画の主題であるが、その監獄に捉われている人を励ますということとか自分が屈しないという証拠に歌をいつも歌っていた。それで「歌う女」というあだ名がつく。la femme qui chante(ラ ファッム キー シャント)と呼ばれるようになる。quiは英語でいうとwhoに当たるから、the woman who singsとでも訳されるだろうか。

それからもう一つはこの映画の原題である。「双子」という原題であるが、les jumeauxであった。ちょっと定冠詞が怪しいがお許しを願いたい。双子といえば、英語ならtwinであろうか。私のこのブログのURLはtwinではじまるが、これは私が双子座の生まれであることによっている。

ドイツ語ならZwillingeであろう。私の子どもは2歳違いであり、双子ではないが、よく同じコートを着せていたから、ドイツではよくZwillinge ? と聞かれた。親の私たちから見ると明らかに違って見えるのだが、着ている服とかによって双子かとよく聞かれた。