今日は体育の日の祝日である。
だが、日曜日以外は休まないように基本的にしているので、仕事場に来た。これは毎日聞いているラジオ講座が土曜、日曜以外は放送があるからである。
ドイツ語講座を土日を除いて、聞いている。30年以上も初級の講座を聞いているのである。それでももちろん都合で聞けない日もあるが、もう何十年も聞いているので、一日二日聞かなくても別に欠損を感じることはない。
だが、ピアニストは毎日腕が落ちないようにピアノを弾くのだという。それと同じで外国語の勉強も毎日する必要がある。だから、初級の外国語講座でも長年聞き続けることは意味があるのではないか。もっともその進歩の程度は亀の歩みのようである。いや、もっと悪いかもしれない。退歩していると感じるときもある。
英語でも実は外国への国際会議等に出かける人でも中学校レベルの英語が達意に話すことができれば、大丈夫なのだと聞いたことがある。もちろん、学会に出かけるのならば、その分野の専門用語等は知っていること等はもちろんであろう。
私の知っている、ある物理の先生は自分の研究室のコロキュウムでは学生に英語で話をさせていたと聞いた。もちろん、そのとき研究室にはアフリカとか中国とかから留学生が来ていたという事情もあったろうが、それだけではなく学生やその先生自身が国際会議に出かけたときに困らないようにとの配慮からであったろう。
だが、英語にしろその他の外国語にしろ日本人であまり外国にも行かない私たちが話すことはやはり難しい。それにその英語を聞くことはもっと難しい。だから、私自身はなんでも外国語の修得はその言葉を聞くことからと考えている。
聞けないとなかなか針の筵に座っているような疎外感を覚える。「英会話1週間」などという本が昔出ていたが、いくつかのフレーズを覚えれば、英語を話すことは限定的にはできても、聞くことができなけれ、意思の疎通はこちらからの一方通行で半分しかできていないと思う。
そうはいうものの、特別な才能もない私にはどちらにしてもとても難しい。
哲学者の見俊輔さんからいつか聞いた話では彼は外国語は聞くことが一番難しいと言われていたように思う。いずれにしてもその当時私の感じていたところとは違っていたように思う。話すのは自分で語彙を考えて話すので、自分の知っている範囲で済むが、相手の使う語彙はこちらからはコントロールできないからである。
もちろん、会話とかならば、聞き返すこともできるし、その意味を説明してもらうこともできるだろう。だが、講演や講義を聞くとか放送を聞くならば、聞き返すことなどできない。
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