今日から基礎物理学で「電気と磁気の現象」に入る。電気と磁気の範囲に入る用語をいくつかか書き出してそれを電気と磁気の現象として5つの種類に分けたうちのどれに入るかという設問を出しているが、その答えを略として書いていない。そうしたら、答えを教えてくれというアンケートの要望が多かった。なんでも自分で調べてみるという考え方はないのだ。
また調べなくてもいいし、自分の知っている範囲で判断すればいいのだ。問があるとその正解があり、それを覚えてテストをクリアしようという知的堕落があると思う。あえて答えを与えないという積極性を認めていない。熱のところでも図を描いて考えてみるところの解答を略と3問ほど書いたのでそれに対する反発もあるのだろうが、これは授業でやって見せたところなので、解答が略でも許されるはずである。それにその解答を自分でして見なくても以後の授業の理解には困らない。
どうもなんにでも模範解答があってそれを見ればよいという考えが強い。嘆かわしいことよ。
テキストに書いていない事を質問してみると、それなりに面白いと思います。学生が講義を評価するという流れの中では悪評が立ちそうですが。
定年退職するまではテキストにないことを聞いたりしていたのですが、いまはアンケートに答えるのに時間をかなりとられる(授業の半分くらい)ので、そういう余裕がなくなっています。
でもこの先回の疑問に答えるという時間はおまけの時間ではなくむしろ正規の授業の一部と考えています。というのも授業の後半は普通のスピードで授業を進めますので、そのときにはわからないのが本当です。
アンケートで疑問を出してもらって次回の授業にその疑問に答えるピンポイントの説明が実は本番といった次第なのです。
でも学生はなんでも聞いてくるのでときどきとても答え難いものがあります。ところが具体的な質問はなく、だんだんただわからないというのが増えてきて困っています。
これは答えられない質問ではありませんが、対数とは何かを2回か3回にわたって説明をした授業の後で対数がわからないという質問がなぜ出るのか。
それもどういう風にわからないのか分析をしてくれるといいのですが、そうではなくてただ単にそう言われると知的堕落以外の何ものでもないといいたくもなります。