私の人生において何かを始めることもあるのだが、「止める」ことにいくつかの意義があることに気がついた。
どんなことを止めてきたか。これは一応仕事とか職業は外して考える。
80歳になったころだが、テニスを止めた。これは一つにはあまりテニスが上手にならなかったこともある。それ以外にも理由はあるだろうが、これからの私の生きることのできる時間を考えたはじめでもあった。
つぎには、もう2年くらい前になろうか、かなり長年続けたドイツ語のクラスの出席を止めた。もっともドイツ語の勉強を止めたわけではないのだが。
最近では、もう20年近く続けてきた毎月第4土曜日の午後に自宅で行っていた雑談会を今年の2月をもって止めた。これは私の意向よりも妻がもうくたびれて手伝いたくないというのが大きかった。
もう一つを忘れていた。これは私の物理の先生である、小川修三さんの量子力学講義ノートの編集である。これは複数の優秀な後輩の物理研究者が引き受けてくれたから、彼らの尽力によって完成させられるであろう。一応第2部までは私の編集で公表できていたのだが。
これらは4つとも私の人生においてもかなり大きな意義をもったものであった。
私はまだやっていることがある。それはこのブログを書くことと数学・物理通信の発行である。これらもいつかはできなくなる時がくる。
ただ、これらは物理的に続けられなくなるまで続けるつもりである。それにしても、なんでも続けることは難しい。そして止めることも。
いずれにしても、なんでも長く続けるのは強い意志というか意欲が必要である。これはなんでもないことのようだが、普通にはそういう方はなかなかいないのである。
もっとも、このブログを書くことは私には努力を要すると感じたことはない。文章を書くことは趣味であり、楽しみであるのだから。これは数学・物理通信の発行に要する努力感とは全く違っている。
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