物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

研究指導者のあり方

2015-02-25 11:18:07 | 日記
今日の朝日新聞に生物物理学者の大沢文夫さんの研究指導法の考えが出ていた。彼は「なんでも自分がおもしろいと思ったことをやれ」という。

それは大切だと思う。大沢さんはある研究者の研究で「こういう風にやったらいいのだが」と思ったが、それでも黙っていたら、別の研究者に大沢さんの思っていたアイディアで研究がなされ、その当該の研究者がもう少しのところだったのにと悔しがったとあった。

そして、その悔しさがその研究者の現在を支えているという。ここまで懐が深いというか深謀遠慮の研究指導者はあまり知らない。

普通は適当なアドバイスを与えて研究の促進をはかるのが、研究指導者だと思う。それにしても研究指導者といえども、自分のよく知った分野のことなら指導できるが、ちょっと不案内のことなら指導できないというのが実際には起こる。

H君と私の初論文は3年越しでできたのだが、実際に研究の隘路に入ったときに、抜け出すことができたのはやはり当事者の私たちに努力によってであった。その当時の私たちの研究指導者であった、Sさんは忙しい人であり、大抵のことには相談に乗ってくれたが、この計算の詳細をチェックすることまではしなかった。

これは当然のことであり、そのことでSさんを恨んだりしたことは一度もない。そのおかげということでもないのだが、Sさんの後をついで私たちの研究指導をしてくれたYさんに私の頭のトロさはトロさとしてそれなりの研究のオリジナリティを認めてもらえるようになった。

それで自分に自信ができたなどということはまったくなかったけれども、自分の存在意義を自分で密かに認めることができるようになった。

それにしても大沢さんの研究指導のしかたは深謀遠慮であってなかなか真似ができないのではなかろうか。