物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

量子力学の完成はいつか

2009-08-24 17:41:44 | 物理学

普通には量子力学の完成は1925年のマトリックス力学の提唱やDiracの非可換な代数の代数の発見とかまた1926年のSchr"odingerの波動力学によって量子力学は数学的に完成したといわれる。

ところが、量子力学の数学的な完成の一方の立役者の一人である、HeisenbergやBohrは1926年に至ってももう一つ量子力学が腑に落ちてはいなかった。

そのため量子力学の理解のための必死の研究が続けられ、1927年のHeisenbergの不確定性関係の発見とBohrの相補原理の発見またはやはり1926年に提唱されたBornの確率解釈によってはじめて、その方向での研究が一段落をしたのであった。

いま、問題にしたいことはこれを武谷三段階論で見るとどういうことになると考えるのだろうかということである。広重徹のように考えると1925年あるいは1926年の段階では量子力学は完成していなかったということになろうか。

だが、普通にはやはり1925年または1926年が量子力学が出来上がった年と考えるのだと思う。それらは確かに水素原子のエネルギー準位を正しく再現することができたのだから。

だが、人間は単に正しい方程式が導出されて、それから実験が確かめれても粒子性と波動性の相克のために心から納得できたとは考えなかった。

電磁場の本性についても同様なことがあったと考えるべきであろう。そうだすれば、そういうものの分かり方をどういう風に位置づけするのがよいのであろう。これは武谷三段階論で扱えないのではないかという難問が出てきている。


討論の相手

2009-08-24 13:39:16 | 学問

私自身はあまり討論が得意ではないが、ときに討論の相手がほしくなる。この相手は自分のもっていないような視点をもっていて、私の視点に疑問を投げかけるような人である。

アイディア豊富で機敏に観点を変えたり、根本的な疑問を呈したり、そういう人にはあまりお目にかからない。日ごろから色々と深く考えている人はどれくらいいるのだろうか。あるときに出会った人とエネルギー問題の将来のありようについて話したことがあったが、こういうことを考えている人はほとんどいない。

この人は将来のエネルギーのことをどこに求めたらよいか政策として真剣に考えているようであった。こういうことを政治家といえどもしっかりと考えている人は少ない。