追分の旧脇本陣、油屋。私が一人で泊まったのは10年前の10月。
今、宿は廃業。交流サロンとして利用。希望すれば、曜日を限って素泊まりで利用できるようです。
作者は1922年生まれ、初めNHKアナウンサー、のちに文壇史を書いて世に出たドキュメンタリー作家。
親本は1990年、中央公論社発行。こちらは95年の文庫本で解説を大河内昭爾氏がしている。それからでももう20年以上経つ。作家も解説者もまだご存命だろうか。
この本は著者が思いがけずに追分に別荘を持つことになり、夏、そこで滞在して、まだ同時存命だった、昭和10年代の追分の文学者の交流を知る人からも話を聞いてまとめた、追分の文学史という形になっている。
追分に住んでいたのは堀辰雄。面倒見のいい人で、後輩に雑誌社を紹介したり、夏に尋ねてくる年若い人の話を聞いたりして、夏の追分は文学サロンの様相だったたらしい。
戦後いち早く、小諸で編集された「高原」は第一号で福永武彦、中村真一郎、野村秀男などが作品を載せ、戦後の文学史に足跡を残したのも、こうした交流の成果であった。
それにしても結核である。将来のある若い人が次々となくなっている。日本国中でどれだけの損失だったことか。
迫りくる死と戦争の影におびえながら、追分の短い夏、文学者は生きている時間をいとおしむように水晶のようにきらきらと輝く作品を残した。
時代を超えて、それらの作品はこれからも読み継がれることだろう。
実は避暑に行く代わりにと、夏に読み始めた本。生来の怠け者、やっと九月も半ばで読了。