今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

一言の園芸と料理日記

2024-04-12 07:12:11 | ガーデニング

ガーデニングの話題が少なくなってきました。

今日はこれまでの記事で載せた画像で、多少異なるものをアップ致します。

それと、一昨日の献立も。

最近は、手抜き料理がほとんどで、ブログにアップする気になかなかなれません。

それにもかかわらずいつも採血の結果は良好。

何故でしょう。

一つ言えることは。どんなに粗末でも、栄養のバランスは常に意識している事です。

お野菜を豊富に食べるようにも、常に心がけています。

特に朝は沢山食べます。

たっぷりさらし玉ねぎも載せて。

ヨーグルトも、朝晩必ず食べるようにしています。

その時はレーズンとごまをたっぷりかけます。

 

サニーレタスは我が家の庭で摘んだものです。
新鮮で、スーパーの物より遥かに美味しいです。
手間がかからず、成長も早く、とても助かっています。

 

一昨日の夕食です。

野菜たっぷりのミートローフ・ポテトサラダ・コーンポタージュスープ・青豆ご飯

季節感を出したいと思い、洋風ながら青豆ご飯にしました。

野菜のソテーも菜の花で。

 

体の事で、唯一自慢ができる事が私にはあります。

しもの話しで、ちょっと恥ずかしいのですが、私は60代の頃から、一度も便秘を患ったと事がありません。

胃腸はすこぶる健康なようです。

先日テレビ番組で腸の健康がいかに大切かを解説していました。

この点は自信があるのですが・・・。

 

疲れやすい体質は、なかなか克服が出来なくて、ずっと私の悩みの種でした。

ところが最近、その克服法を少しだけ会得できたのでは・・・。

そんな気がしています。

それからは、以前より元気になったように思うのですが・・・。

私の思い込みに過ぎないかもしれません

この事については、いつかまた記事にいたしますね。

 

 

一言園芸日記を始めてから、いままでより朝が忙しくなってしまいました。

何時まで続けられるか分かりません。

本当なら寝る前に、翌日の投稿記事が準備できるといいのですが。

その時間帯は、体が疲れ切っていて、集中力はゼロ。

私には、とても無理な事です。

 

左横に置いてあるテラコッタの植木鉢は一部が割れています。
それで、私はこれを逆さまにして、園芸作業の時の腰掛にしています。
中腰の作業は、年齢的にきついので、とても助かっています。

 

一層の事、溜まった下書き記事を毎日更新し、その記事が無くなったら、またしばらくお休みする。

その方法に切り替えようかとも。

メリハリの利いたブログライフを心がけ、あまり頑張り過ぎない事。

その様に私は心がけたいです。

 

最近私が購入した便箋封筒セットです。とても可愛いです。

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K君の合格発表の日

2024-04-11 07:54:16 | 
3月10日の午前中のこと。
 
12時発表の孫息子K君の国立大学の合否結果を待ちわびて、気持ちがどきどきそわそわ。
 
まるで落ち着きませんでした。
 
娘達の時は、本郷にある大学まで出かけ、掲示板で合格を確認したものでしたが・・・。
 
今はデジタル社会。
 
足を運ばなくても、パソコン画面で確認できるように。
 
その当時は夢にも思わなかったことでした。(これはあくまで私の事です)
 
隔世の感を覚えます。
 
 
12時になっても娘から連絡がなかったので、ダメだったのでは、とはじめ思いました。
 
こちらから電話をするのは憚られ、胸がどきどき。
 
その内、どうにも待ちきれず、私から電話を掛けてしまいました。
 
 
するとMちゃんが明るい弾むような声で、「合格したのよ!」と返答。
 
合格者の番号が掲載されたサイトをすぐ見つけられなくて、確認までに時間がかかったようです。
 
自分の息子の事を、「凄いと!」言って、感極まったような声で喜ぶ娘。
 
その後に、「おじいちゃんと同じ法学部よ」と声を弾ませて言うMちゃん。
 
その一言が、何よりも私の心に響き染みわたりました。
 
亡き夫も、どんなに喜んでいることでしょう。
 
 
それからしばらくして、娘からラインんが届きました。
 
それは次のようなものでした。
 
 
 
 
 
この文を一瞬誤解してしまい、一抹の不安が心をよぎった私です。
 
そんなに出来が悪かったのなら、入学しても、K君、授業についていくのが大変では、と。
 
ところが、それは私の大勘違い。
 
K君の学年全体の事でした。
 
 
入学当初から、私もMちゃんから聞き、知っていましたが。
 
他の学年に比べ、模試の平均点が例年になく低くて、先生方が心配されたようです。
 
そのため校長先生はじめ諸先生方が、学力の向上に、特段の力を入れられた学年のようでした。
 
 
その結果、意外にも、今年の東大合格者数は、今までで一番良い数字になったようです。
 
校長先生はじめ諸先生方の並々ならぬご指導のお陰でしょう。
 
K君も、その恩恵を受けた学生の一人。
 
もちろん本人の努力もあるでしょうが。
 
発表の後、先生に、「一時はどうなることかと、心配したよ」と言われ、祝福を受けたようでした
 
 
 
校長先生から卒業証書を授与される時のK君。
 
 
本当に良かった。
 
塾には一度も通わず、毎日学校が設けてくれた自習室で友達と一緒に受験勉強に励んだK君。
 
良き先生と良き友人に恵まれ、理想的な環境の中で受験勉強が出来たのでしょう。
 
その幸運を思わないではいられません。
 
  
 
 
クラブ活動、学園祭、体育際とすべての行事で大活躍したK君。
受験勉強を始めたのは高2の秋からのようです
大学生活は如何に?今から楽しみです。
 
 
K君、本当におめでとう。
 
志を高く持って、充実した大学生活を送ってくださいね。
 
パパも週に一度、勤務先の研究から足を運び、教鞭を執っているようなので、
キャンパスでの偶然の出会いもあるのでは。
 
親子の微笑ましい光景を目に浮かべ、悦の心境に浸るおばあちゃんです。
 
改めて、K君本当におめでとう。
 
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一言の園芸日記

2024-04-10 07:19:15 | ガーデニング

近影の庭の花壇の様子です。

カメラのアングルを工夫して、自信があるわけではない庭を、少しでも良い雰囲気を出せるように

頑張りました。

調べると下の最初の画像は数年前の物でした。

いつもピントが呆けた写真が多い私ですが、この写真は見事にピントが合っていたので

つい選んでしまったようです。

今と、配色がそっくりですね。

 

 

ここから近影の画像です。4月1日撮影

 

カレンデユラ・スノーポール・ツルニチニチソウ・ビオラ・ローダンセマム等

ローゼンセサムは。マーガレットに似ていますが、寒さに強いのが有難いです

手前の白い花、名前が思い出せなくなってしまいました。

(思い出しました。アリッサムですね)

ツルニチニチソウは、昨年、葉を短くカットしたところ、なかなか成長してくれません。

レンガの縁に覆いかぶさるようになると、もっと花壇の雰囲気が良くなるのですが。

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長女夫婦と共にお食事 若夫婦家の愛車について 3月の日記

2024-04-09 07:17:46 | 家族
突然、長女から声がかかり、いつものイタリアンレストランで、
 
若夫婦と、夕食を共にすることになりました。
 
最近、次女宅同様に、新車を購入した長女家。
 
そして、愛車二台を自宅のガレージに入れるつもりだったようですが・・・。
 
それは少々無理だったらしく、近所の駐車場を借りる事に。
 
 
ところが、そこが空くのには、まだしばらく日数がかかるとのことで、
 
先日、京都旅行にまた出かける前に、私の家に一時的にですが預けに来ました。
 
 
夕食を共にした日は、新車を運転してくると言うので、私は朝から楽しみでなりませんでした。
 
そして、初めて見た時の印象は、ファミリーカーとはとても言えないスポーツカータイプ。
 
背も低く、今までよりひと回り小さい車でした
 
前と同様に外車のようです。
 
 
早速その写真を撮っておきましょう。
 
そして次女家の新車と同様に、記念に何時か、ブログに載せましょう。
 
そう思ったのですが・・・。
 
長女からそれは強く禁じられてしまいました。
 
何故いけないの???、と。
 
私は理解に苦しみました。
 
車の知識がまるでない私には、その理由が全く分からなくて・・・。
 
そのため、ブログに載せることは出来ません。
 
彼の話によると、新しい車は、資産価値が絶対下がらないとのこと。
 
と言うことは余程の高級車?
 
けれど、私にはその良さが今一つ分かりませんでした。
 
 
 
これは、次女家の新車です。
それまでのボックス型と違い、姿ががとても優雅で、
見惚れてしまった私です。
先日会った友は、ご主人様がマツダにお勤めただったので、次女家の車の話をしたところ、
欧州では、マツダの車は、人気がとても高いようでした。
 
 
上は、長女家の愛車です。
次女家の新車同様に、流線型の形をした美しい外観で、私も大好きです。
乗り心地もとてもいいです。
私の最後の車は、トヨタのプログレでした。
色は黄みがかったクリーム色。
私なりにこだわった選択でしたが、今思い出すととても懐かしいです。
 
 
その車に乗ってレストランへ。
 
発車する時、どくどくのエンジン音がしてびっくり。
 
イタリアンの行きつけのレストランでは、おしゃべりに花が咲き、アッと言う間に時間が過ぎました。
 
孫達は来なかったのでその理由を尋ねると、R君は大学時代の友人とのお食事会。
 
桜ちゃんは、明日から友人と香港旅行に出かけるため、その準備で忙しいようでした。
 
 
更にママのMちゃんも、明日から一週間、ロスアンゼルスに出張との事。
 
何と、主人が駐在していた頃、私たちが住んでいた町にあるホテルに泊まると聞き、懐かしさがこみ上げました。
 
長女が小学校6年生になったばかりの春に帰国したのですが。
 
その街のストリートの名前、位置など見事に記憶していてびっくり。
 
私は、ほとんど思い出せない事ばかりでした。
 
 
いくら海外出張に慣れているとはいえ、その前日に我が家に来るなんて。
 
その身軽さと行動力にも感心。
 
若夫婦達はみんなとても元気で、暮らしも充実しているようです。
 
私も負けないように、もうしばらく頑張りましょう。
 
 
 
明日(3月10日)はK君の国立大学のいよいよ合格発表。
 
合格すれば、もちろん嬉しいけれど、ママは口癖のように早稲田の政経でもう十分と言っています。
 
ですから結果はどちらであろうと、お祝いするつもりで、今お赤飯を準備中です。
 
久し振りに、明日は次女女宅に行くつもりでいます。
 
 
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一言の園芸日記

2024-04-08 07:09:20 | ガーデニング
極小輪ビオラ フィーリー
 
 
 
私が今お気に入りのハンギングバスケットのお花です。
 
単色で変わり映えしませんが、極小のビオラで何とも愛らしくて・・・。
 
枯れた花を摘むのが大変ですが。
 
ビオラやパンジーは、丈夫で数か月健気に咲き続けてくれるので、本当に有難い花です。
 
平凡な花ですが、素直に嬉しくて、私は大好きです。
 
 
      
 
 
画像に映っているモスグリーンの雨樋は、私にとって大変な冒険でした。
 
作業をする方に、この色を選択するのはあなたが初めて、と言われ・・・。

胸がどきどきするほど不安になったものですが。
 
今はこの色に決めて、大正解だったと思っています。
 
ガーデニングを愉しまれる方には、特にお奨めの色です。
 
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小学生時代の級友三人で楽しい会食 3月の日記

2024-04-07 07:29:14 | 
3月4日の事です。
この日は、珍しく春の陽気で、私はコートなしで出かけました。
行き先は緑ヶ丘。
初めて目にする駅名です。
 
会うのは、全員小学校時代の同級生たち。
声をかけて下さったのは、Nさん。
何故か、旧姓しか今思い出せなくなってしまいました。
こうなったからには、他の方も、すべて懐かしい旧姓の頭文字で、今日の記事は綴る事に致します。
 
 
私は約束の時間通りに、目的の駅に到着しました。
既にNさんがお待ちかねでした。
ところがあとの二人がなかなか見えないので、Nさんが電話を掛けたところ、東横線のまるで違う駅前で、うろうろしておられる様子。
 
緑ヶ丘の駅は、大井町線。
何故そんな駅に降車することになってしまったのか。
私に行き先を教えて下さったHさんが迷われるなんて・・・。
とてもとても理解に苦しむことでした。
 
後で、彼女たちには、Googleの路線案内のサイトを教えて差し上げました。
私はそれを利用し始めてからは、待合場所に迷わず必ず時間通りに到着できるようになりましたから、
それを利用していなければ、彼女たちの行動は他人事ではありません
「高齢になると道に迷うのは日常茶飯事。
お互いに気を付けましょうね」と言い、大笑いした私達です。
 

 
三名は、小学校時代の仲良し同級生達だっただけでなく、中高も国立大学の付属でしたから同様の学生生活を送りました。
その時はクラスは異なりましたけれど。
 
但し、この度声をかけて下さったNさんは、小学校6年生の時に、東京の学校に転校。
ですから会うのは今度が二度目ですが、とても懐かしい思いを抱かれるようです。
 
その上、彼女は外交官夫人となり、海外での活躍が多く、日本の友達とは長いブランクがありました。
ですから、旧友に会えるのは殊更嬉しいようです。
 
 
この想い出写真は、Nさんの親戚の別荘に招かれた時のものです。
Nさん家は政治家が多く、この別荘を所有する叔父様は、確かこの当時、大臣でした。
左端は私。私の前の二人は母と妹です。
この写真をNさんに見せたところ、懐かしがりとても喜んでくれました。
 
みんなが揃い、駅から徒歩数分の場所にある、Nさんの友人が経営するイタリアンレストランで昼食を摂りました。
実は会う前、私は少々緊張していました。
外交官大使夫人の経歴がある方と聞くだけで、洗練された華やかな世界を想像してしまったからです。
こういう時、狭い世界で暮らしてきた自分に、何だか自信がもてなくて・・・。
せめていつもより、少しおめかしして出かけようと、パールのネックレス迄かけていきました。
 
ところが実際に会うと、昔と全く変わらず、お母様にお人柄がそっくりの実に明るくて気さくな方。
とてもとても楽しいおしゃべりのひと時が持てました。
 
 
 
 
  
画像の他に、前菜、デザート、確かもう一皿あったのですが、
話に夢中になり、写真を撮り忘れてしまいました。
 
 
話す話題は同じでも、ご主人の職業が異なると、その内容もまるで違いました。
如何にも高齢者らしい年金の話しになった時のこと。
昨年、ご主人様を亡くされた、整形外科病院の院長夫人でいらしたHさんが
口火を切られました。
私にはサラリーマンのような年金はないの。
その代わりに、何か所かある駐車場や賃貸の部屋の貸し料金が結構入るので、それで暮らしているの。
 
もう一人の友は、ご主人様はマツダにお勤めだったようで、海外生活も経験されていました。
この方のお話でびっくりしたのは、専業主婦だった奥様にも企業年金が支給されるとの事。
わたしは思わず、「羨ましい」と言いました。
我が家は厚生年金より企業年金の方が多い位だったのですが・・・。
夫が亡くなると同時に、その支給は無くなりましたから。
 
外交官夫人でいらしたNさんのお話では、アメリカ駐在の時期もあったけれど、外交官はアメリカ年金は受け取れないのよ、と。
それは気の毒と思い、理由を教えてもらいましたが、もう忘れて思い出せません。
 
旦那様の職業によって、同じ話題でも、内容はまるで異なり、とても興味深かったです。

私の隣の方が、この度声をかけて下さったNさんです
 
その後、それだけでは物足りず、東横線の自由が丘駅近くのの喫茶店に。
レストランは大井町線でしたが、徒歩でその喫茶店にも行けました。
Nさん宅は東横沿線の駅の近く。
緑ヶ丘迄歩いていらしたとの事。
長女宅にとても近い所にお住いです。
この辺りは電車を利用すると、乗り換えもあり、遠く感じますが、すべて徒歩圏内であることを初めて私は知りました。
 
レストランでも喫茶店でも、話題は尽きることなく泉のように湧いてきました。
まだご夫婦そろってご健在なSさんは、既に自宅を売却し、住宅型の高齢者施設に入居されていらっしゃるようでした。
とても満足され、落ち着いたお暮らし振り。
その具体的なお話も、将来のために聞かせてもらいました。
Nさんの一見華やかに見える外交官夫人の苦労話も色々伺いました。
 
あっと言う間に数時間が経過。
もっともっとおしゃべりを続けていたい気持ちを振り切り、
「また会いましょうね」と言て、別れた私達です。
 
国立の付属と言った一貫した環境と教育で育まれた人間性には、どこか共通の物を感じ、まるで親戚に出会ったような気持ちに私たちはなれます。
同窓生の皆さん、母校を悪く言う人は一人もいません。
褒める方ばかりです。
恩師への感謝の気持ちを忘れることなく、同窓の絆をこれからも大切に温めていききたいものですが・・・。
 
年齢的にはもう一期一会の心境。
親友達との思いがけない別離を、何度も経験してきた私ですから。
一層、その気持ちを強くしています。
 
その内に同窓生の傘寿の会が一泊の旅行を兼ねて催されるようですが、
昨年、同窓会の京都旅行にも出かけ、私にしては珍しく今年も他の予定が
盛りだくさん。
自分の体力と家計の予算を考慮すると、すべての参加は無理かもしれません。
その時になって決めることに致します。
 
追記
前日に一言園芸日記を更新しています。
 
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一言の園芸日記

2024-04-06 06:59:13 | ガーデニング
ポーチの前の寄せ植えが今満開です。
植えたのは去年の晩秋。

紫の花(ブルーデージー)は、園芸ラベルに寒さに弱いと書かれていたので、とても心配しましたが、無事に冬を乗り越えてくれました。
「よく頑張ったね」と声をかけて上げたい気持ちでいます。

青と黄色は私が大好きな配色。
理想に近い寄せ植えになりました。
まだしばらく愉しめそうです。


ブルーデージー・パンジー・カレンデユラ(シンプリシテイー)
シロタエギク・ネメシア

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私の運動神経は?卓球の想い出 

2024-04-05 07:13:52 | 想い出

私の人生は、運動にまるで縁のない暮らしだった。

運動神経は鈍い。

恐らく娘達はそう思っている事でしょう。

ところがです。

実際は、そうでもなかったのですよ。

 

幼稚園生の時、その地域で催された運動会では、幼稚園代表のリレー選手になりました。

小学校時代は、とても活発で運動神経もそれなりのもの(?)

これは嘘(笑)、普通でした。

鉄棒でやりたい動作が上手く出来ないと、放課後、下校ベルが鳴るまで黙々と頑張る。

そんなところもありました

その時は高い鉄棒から落下。

首を痛めてしまいました。

ソフトボールのピッチャーに一度だけなったのですが、体育の先生に素質があるなんて言われたことも。

 

けれど体は丈夫でなかったので、すぐ息切れ。

下校するとぐったり。

何時もしばらく横にならないと、元気が戻らない

そんな子供でした。




小学生の頃の私です。
その手前に居るのは妹です。友の親戚の別荘宅で。
前は瀬戸内の海岸で,、私は母手製の海浜着を羽織っています。
この友の話は、後日の記事でまた致します。

 

 中学生になると、クラブは最初テニス部に入部。

父は、スポーツが万能で、大学時代はテニス部のキャプテンを務めた人。

その影響で、テニスに惹かれたのかもしれません。

けれど、半年もすると息切れ。

広いコートを駆け回るのは、私の体力では所詮無理な事でした。

 

テニス部を辞めて、次に入部したのが卓球部。

このスポーツは私には合っていたようです。

2年間くらいだったかな。

真面目に練習に励むことが出来ました。

その上達のために、ひと役買ってくれたのが父です。



 

家から徒歩十数分先にある卓球場で、何度か特訓を受け、私はみるみる腕が上がりました。

父は楽しむだけでなく、プレーのフォームもとても気に掛ける人でした。

正統派の指導のお蔭で、それなりのフォームで、いっぱしのスマッシュを打ち返すこともできるように。

バックハンドも同様に。

自信も多少は付きました。

 

そしてなんと、郷里の中高連の体育祭に、わが校代表の卓球選手として出場したのです。

その時のときめきは相当なものでした。

そんな経験ができるなんて、夢にも思っていませんでしたから。

さぞかし、嬉しく誇らしかったことでしょう。

 

ところが試合結果は散々。

相手の女子チームも、私の学校と同様に、有名な進学校の女子学生さん達でしたが。

サーブを打ち返しても、思いがけない方向に飛んで台から飛び出してしまう。

サーブに捻り(回転)を入れて、相手が打てないようにしてくるのです。

私は、素直なフォームで打ち返すことしか父から指導を受けていませんでした。

ですから、全く相手になりません。

スマッシュのラリーの時だけは、互角に打てましたが。

惨めな結果で終了。

とてもがっかりし、その内に練習する気力も失い、そのクラブも退部してしまいました。




子供用の小さな卓球台もあるのですね。
これでしたら、家でも愉しめそう。

今思い返すとと、クラブの想い出以上に、父と卓球場に出かけ特訓を受けた時のことが、たまらなく懐かしいです。

 私には掛け替えのない、本当に良き想い出に今はなっています。。

お父さま、ありがとう。

今更ながら、もう一度、伝えられるものなら感謝の気持ちを伝えたい。

この記事を書きながら、しみじみそう思いました。

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輪島塗漆器への熱い思いと想い出 3月の日記

2024-04-03 07:34:29 | 買い物

この度の能登半島地震は、復旧が思う様に捗らず、被災地の皆様のご苦労は如何ばかりかと。

厳寒での避難生活の大変さは、私の想像をはるかに超えるものでしょう。

心からお察し申し上げるるばかりです。

 

その中でも、輪島市の壊滅的な被害は、私にはたまらなく辛い事でした、

この街を訪れたことはありませんが、私の暮らしでは、身近に感じられる所だったからです。

 

恐らく数年の事に過ぎなかったのではないかと思いますが・・・。

私が娘時代の頃の事です。

輪島の行商人さんが、年に一回くらい実家に出入りしていました。

きっと母は、輪島塗の漆器に心惹かれ、特別な思いを抱いていたのかもしれません。

その当時、その行商人さんから母が買い付けた輪島塗の漆器が、わずかに過ぎませんが我が家にはあります。

その中でも、お屠蘇器の品格と麗しさは格別です。

それを購入した時の母の決断はいかばかりだったことでしょう。





母は、それ以外に五客のお椀も買っていました。

それは、自宅用だけでなく、お嫁入り道具として、娘達二人のためにも求め揃えてくれました。

 けれど、嫁いでからも、私はそのお椀はもったいなくて、普段使いはとてもできず、木箱にいつもしまったまま。

お正月用に、或いは来客をお迎えする時のみ、使用してきました。





一方では、母が使用していたものは日常使いにさせてもらっています。

それを置くだけで食卓が華やいで見えます。

普段使いにしている、唯一の輪島の漆器です



右下のお椀がそうです。

この様な想い出から、輪島塗の漆器には、特別な思いが私にはあります。

しかし、サラリーマン家庭の身では、早々気軽に買えるものではありません。

デパートの売り場ではいつも眺めるだけ。


そんな私が、自分から一度だけ、この漆器を購入したことがありました。

恐らく結婚後、初めて自分で買った、一番の贅沢品ではなかったでしょうか。

 

私は、新婚当時、大阪の千里山にある、ごくごく平凡な2kの賃貸アパートで暮らしていました。

社宅にはすぐ入れませんでしたから。

駅までは、瀟洒な住宅が立ち並ぶ広い道がありました。

緑が多い閑静な住宅地で、とても素敵な所でしたから、今でもその光景をはっきり思い出すことが出来ます。

その一角にあるビルの二階で、ある日、輪島塗の漆器の展示即売会が催されました。

 

恐らく、その高級住宅地界隈にお住いの住民の購入を期待しての事だったのでしょう、

そんな場所に、まだ新婚ほやほやの私が出入りするのは場違い。

よくよく承知していたのですが、気になって仕方がなかった私です。

そしてある日、勇気を奮い起こしてビルの二階まで上がり、そこに展示されていた輪島の漆器を鑑賞させてもらいました。

 

どの商品も余りに高価で、手も足も出ないお値段でしたが。

その中に、とても気に入り、私でも何とか買えそうな商品が一品だけありました、

その時、えいっと買う決断をしたのが下の画像のお盆です。

 


 

今では新婚時代の想い出と共に、私には掛け替えのない貴重なものになっています。

既にその時から50年以上経過しますが、購入した時と全く変わらないままです。

そして3~4年前の事だったでしょうか。

デパートの輪島塗の商品のコーナーで、何と全く同じお盆が販売されているのに、私は気が付きました。

形も柄も朱の色もすべて同じ。

その時の驚きは、相当なものでした

同じお盆を作る工程が、50数年以上経過した今も大切に継承されている。

そう思うと、まだ結婚したばかりの私がそのお盆を選び買う決断をしたことが、とても誇らしい事に感じられてしまいました


テレビで、輪島の職人さん達をよくお見掛けしますが、皆さん威風堂々となさった佇まいで、輪島の伝統工芸に誇りを持ってお仕事に臨んでおられるのがとてもよくな分かります。


新聞の記事より


特に、人間国宝の小森邦衛氏がが震災によって荒れた工房を見つめるお姿には、神々しささえ感じられました。

再建の道のりは、長く遠い事と思いますが・・・。

一日も早い復興を祈って止まない私です。


今の私の夢は、いつの日か、輪島塗の三段のお重箱を買うこと。

価格は、とんでもなく高価でしょうが。

もし実現すれば、実家の遺品のお屠蘇器と共に、我が家の家宝になるに違いありません。

娘達がそれを受け継ぎ、輪島の漆器を新年の食卓に並べ、お正月を長女家と次女家が揃い、共に仲良く祝って欲しい。
父母の想い出話でもしながら・・・。
それが今の私の夢かな。

そんな願いを胸に、被災地の皆様のご苦労を偲ぶ日々です。

3月5日頃の記述

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行事が多い弥生の月 (3月の日記)

2024-04-01 07:26:19 | 家族

ひと月、記事の更新をお休みしてしまいました。
その間も、頭の体操と思い、記事は書き続けていました。

そのため、今後載せる記事は、すべて、ひと月遅れのものばかりです。
気の抜けたサイダーのようで、新鮮味はまるでありません。
ですから、そんな記事に興味はないと思われる方は、スルーして下さいね。

ところが、未だ画面は、ドコモポイントに連携したわたしが不慣れなもののままです。
恐らく4月7日に元の画面に戻ると思っています。
今日から、と勘違いしていました。
4月に入ったなら更新を開始することに決めていましたので、予定通りに致します。


三月、弥生の月を迎えると、いよいよ春が間近。
そんな気持ちになり、心が弾みます。
まずはひな祭り。




そのはずですが、今年はひな壇を我が家は飾りませんでした。

受験生を抱えた娘にお願いするのは、さすがにためらわれたからです。

重たいスチールの段飾りを、二階の納戸から運ぶのは、私ではとても無理。

Yさんが元気な時は、夫の役目でした。

箱の中で、お雛様がすすり泣いているようで、少々心苦しいいのでが・・・。

今年は止むを得ません。

 

お雛様の代わりになるような、孫の晴れやかな卒業写真を、娘がラインで送ってくれました。

それで、今年は十分です。


 

その上、何と、上で紹介した卒業式の映像を、私はスマホのライブで見る事が出来たのです。

でも、スマホの操作が単純な事しかできない私には、音声の出し方が分からなくて・・・。

更に残念なことに、卒業証書授与が終わった所で、突然切れてしまいました。


下の画像は次女がラインで送ってくれたものです。

 

K君が卒業証書を授与されるところです。

 

私は男子校に縁のない人生でしたが・・・・

写真を見て、その爽やかな清々しさと凛々しさに、心打たれました。

まだ若いのに、頼もしそう。

これからの日本を背負って立つ皆さんに、とても期待しています。

K君、卒業、本当におめでとう。

 


 

孫の卒業式を皮切りに、三月は、色々楽しいイベントが私の身には控えています。

友人とのお食事会。

夫のお墓参りで、久しぶりに郷里に帰省予定でもいます。

3月の終わりには、長女家、次女家とのホテルでの会食もあります。。

20歳のお誕生日を迎える桜ちゃんとK君の卒業、4月3日に80歳の傘寿を迎える私のお祝いの会を長女家が開いてくれるようです

今からとても楽しみにしていますが、老いた身には、少々多すぎるイベント。

元気にやり通せるでしょうか。

 

まずは帰広の旅行が少々気がかり。

長女には、私が付き添わなくて大丈夫?と言われましたが・・・。

今はまだ去年の秋からの良好な体調が続いていますから。何とかなりそう。

次女に、新幹線の切符の入手と、ホテルの手配はお願いしましょう。

 

これらの大きなイベントを元気に乗り切る事が三月の一番の課題。

そのためにも、他では無理をせず、健康維持に努めたいと思っています。

3月1日記述

シニアライフランキング
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