この度の能登半島地震は、復旧が思う様に捗らず、被災地の皆様のご苦労は如何ばかりかと。
厳寒での避難生活の大変さは、私の想像をはるかに超えるものでしょう。
心からお察し申し上げるるばかりです。
その中でも、輪島市の壊滅的な被害は、私にはたまらなく辛い事でした、
この街を訪れたことはありませんが、私の暮らしでは、身近に感じられる所だったからです。
恐らく数年の事に過ぎなかったのではないかと思いますが・・・。
私が娘時代の頃の事です。
輪島の行商人さんが、年に一回くらい実家に出入りしていました。
きっと母は、輪島塗の漆器に心惹かれ、特別な思いを抱いていたのかもしれません。
その当時、その行商人さんから母が買い付けた輪島塗の漆器が、わずかに過ぎませんが我が家にはあります。
母は、それ以外に五客のお椀も買っていました。
それは、自宅用だけでなく、お嫁入り道具として、娘達二人のためにも求め揃えてくれました。
けれど、嫁いでからも、私はそのお椀はもったいなくて、普段使いはとてもできず、木箱にいつもしまったまま。
それを置くだけで食卓が華やいで見えます。
この様な想い出から、輪島塗の漆器には、特別な思いが私にはあります。
しかし、サラリーマン家庭の身では、早々気軽に買えるものではありません。
デパートの売り場ではいつも眺めるだけ。
そんな私が、自分から一度だけ、この漆器を購入したことがありました。
恐らく結婚後、初めて自分で買った、一番の贅沢品ではなかったでしょうか。
私は、新婚当時、大阪の千里山にある、ごくごく平凡な2kの賃貸アパートで暮らしていました。
駅までは、瀟洒な住宅が立ち並ぶ広い道がありました。
緑が多い閑静な住宅地で、とても素敵な所でしたから、今でもその光景をはっきり思い出すことが出来ます。
その一角にあるビルの二階で、ある日、輪島塗の漆器の展示即売会が催されました。
恐らく、その高級住宅地界隈にお住いの住民の購入を期待しての事だったのでしょう、
そんな場所に、まだ新婚ほやほやの私が出入りするのは場違い。
よくよく承知していたのですが、気になって仕方がなかった私です。
そしてある日、勇気を奮い起こしてビルの二階まで上がり、そこに展示されていた輪島の漆器を鑑賞させてもらいました。
どの商品も余りに高価で、手も足も出ないお値段でしたが。
その中に、とても気に入り、私でも何とか買えそうな商品が一品だけありました、
その時、えいっと買う決断をしたのが下の画像のお盆です。
今では新婚時代の想い出と共に、私には掛け替えのない貴重なものになっています。
既にその時から50年以上経過しますが、購入した時と全く変わらないままです。
そして3~4年前の事だったでしょうか。
デパートの輪島塗の商品のコーナーで、何と全く同じお盆が販売されているのに、私は気が付きました。
形も柄も朱の色もすべて同じ。
その時の驚きは、相当なものでした
そう思うと、まだ結婚したばかりの私がそのお盆を選び買う決断をしたことが、とても誇らしい事に感じられてしまいました
新聞の記事より
特に、人間国宝の小森邦衛氏がが震災によって荒れた工房を見つめるお姿には、神々しささえ感じられました。
再建の道のりは、長く遠い事と思いますが・・・。
今の私の夢は、いつの日か、輪島塗の三段のお重箱を買うこと。
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