皆様には、親友と言える友が何人いらっしゃいますか。
何時か、あるブロガーさんが、親友という言葉を軽率に使用したくない。
親友とは、その人に命を捧げてもいいと思えるほど、友情が厚い友の事を言うのです、と言った内容の記述をしておられました。
それを読んだ私は、頭の中がクエッションマークで一杯に???
もしそれが本当なら、私は余りに軽率に「親友」という言葉を使用しすぎている、と思ってしまったのです
ところが最近のことです。
私は心から納得できる、親友の定義の言葉に、ネット上のサイトで出合うことができました。
それを読んで、私が「心の友」と感じてきた数名の方々は、間違いなく私の親友だと確信できました。
そこに書かれた簡潔な定義は、下記の通りです。
定義1:信頼している
定義2:居心地が良い
定義3:力になりたい
定義4:正してあげたい
定義5:幸せを喜べる
定義6:変わらない関係
上の内容を一言で表すなら、家族のように大切に思うかけがえのない友達のことです。
人間誰でも自分自身や家族を一番大切に思っているもの。
それと近い感覚で相手の事を大切に思えて、他の人では変えられない友達を「親友」と定義されています。
私は、親友の定義の上記の説明に、とてもとても納得できました。
皆様は、如何でしょうか?
さらにこの詳しい解説がありました。
それも、長くなりますが載せることに致します。
以下が続きの文章です。
❍ 親友定義の一つ目、「信頼している」
家族と同じようにはいきませんが、
親友ならそれと近しい感覚で、お互いを信じて頼ることができます。
一緒に過ごした時間、その中での言動により、お互いの人間性を知って認め合っていく。
この人は信頼できる人物だと認め合っていく。
長所はもちろん短所さえも認め合っていく。
弱みを見せることができる
悩みを相談することができる
秘密を打ち明けることができる
味方でいてくれると信じている
我慢せず思ったことを言える
❍ 親友定義の二つ目は、居心地がいい。
1つ目の「信頼している」ことを前提として、「親友」といると家族のような居心地の良さを感じます。
自然体でいられる
安心・リラックスできる
2人で(車、部屋)いられる
長時間一緒にいられる
沈黙が苦にならない
気持ちがなんとなく分かる
見栄を張ることがない
親友とは親しき仲にも礼儀ありを守りつつ、変に気を遣うことはなく自然体でいられる。
また、お互いに無理をしないで、ちょうどいい距離感で付き合っているのもあって居心地が良い。
❍ 親友定義の3つ目は、力になりたい。
「親友」に対しては力になりたい気持ちが自然に湧くもの。
親友が困っていたらその苦しみに共感し、家族に起こった時と同じように苦しさを感じる。
そして損得は関係なしに、たとえ負担になるとしても、
なんとか力になってあげたいと思うものです。
困っていたら見返りを求めず助ける
相手のために自然に体が動く
助けを求められたら基本は断らない
少しでも力になりたいと思う
多少負担になっても気にしない
❍ 親友定義の4つ目は、正してあげたい。
「親友」の中に良くない言動や間違いを見つけたら、
親友のためにそれを正してあげたいと思うもの。
多くの場合、それらを指摘されるのは、決して気持ちのよいものではありません。
恥ずかしくなったり腹が立つこともあります。
そのため喧嘩したりこちらが悪者になるおそれがありますが、
それでも相手のためを思って正してあげたいと思うのが親友です。
相手のために良くない言動や間違いを指摘できる
たとえ自分が悪者になってもハッキリ言える
今ここで指摘しなければ、後で親友が困るかもしれないと。
「友達が困ること」と「自分が責められること」を天秤にかけた時、
前者に傾くのが親友であり、後者に傾くのが友達ということですね
私自身は、親友と言えども、ここまでできるかどうかは疑問ですが、指摘は嬉しく素直に受け取められる方だと思います。
親友のKさんからは、最近、お食事を共にした時、、或る指摘を受けました。
❍ 親友定義の5つ目は、幸せを喜べる。
本当の「親友」であれば幸せを素直に喜べます。
まるで家族に起こった幸せのように、いや自分のことのように喜べるものです。
幸せを素直に喜べる
自分のことのように喜べる
❍ 親友定義の6つ目は、変わらない関係。
「親友」であれば、たとえ人生のステージが、大きく変わっても関係は変わらないもの。
社会人になると就職、転勤、独立、結婚、出産など、仕事とプライベートの両方で状況が目まぐるしく変わるので、会えなくなったり価値観が変わることは普通にあります。
しかしそれでも関係は変わらないのが親友の定義の一つ。
家族との関係はどんなことがあっても変わらないのと同じです。
連絡を取らなくても関係は変わらない
会わなくても関係は変わらない
距離が離れても関係は変わらない
人生のステージが変わっても関係は変わらない
親友の定義の説明は、以上です。
皆様は、この説明を読まれて、私と同様に、心から納得されませんでしたか。
私には家族のように思える、大親友が二人います。
他にも、上の項目がほとんどあてはまるといって言い親しい友が、5名はいます。
幸運にも、ご近所にも、心から信頼できる友が二人いらっしゃいます
斜め向かいのFさんはとは、特に親しい間柄。
お子様たちがご結婚されたばかりです。
初孫さんもお生まれになり、私より一回り半くらいお若い方ですが、心から信頼し合っています。
この度、訃報を受けたTさんも、親友の一人と言っていい方でした。
ですから、まるで心のつっかい棒を一つはずされたような寂しさと悲しみに浸っています。
夫が亡くなった時、彼女が握りしめてくれた手の温かみを、私は今も忘れることができません。
何故か、葬儀が終わって数時間もたたない時に、お嬢様(次女の友人)からお電話をいただきました。
お悲しみの最中で、とてもお疲れでしたでしょうに。
私は恐縮してしまったのですが、
「お話がしたかったです」
とのお嬢様のお言葉でした。
何だかとても感激してしまった私です。
お母さまが、どんなに素晴らしいお方だったか、私が如何にお世話になったかを、一生懸命語ってしまいました。
私のもう一人の親友だったUさんが入所しておられた介護施設に、年数回くらい、Tさんと一緒にお訪ねしたものです。
彼女を外に誘い出し、度々昼食も共にしました。
そのUさんも、二年前に亡くなられ、私は独りぼっちになってしまいました。
彼女の病や三人の親睦については、過去のブログ記事でも度々触れています。
お人柄はお二人がそっくり。
心のとても美しい明るい方達で、思考は常に前向き。。
病気の愚痴はほとんどおっしゃらなかったし、たまに言われても、あまりに明るい口調でしたから、私にはそのように聞こえませんでした。
お二人の、凛とした清々しい佇まいだけが、私の胸に深く、今も刻まれています。
次女が中学入学時から、ずっと親しくさせて頂いたママ友達でした。
ただ一つ、Tさんのことで、とても悔やまれることがあります。
この続きは長くなるので明日に回します。