この度の夫の病の記事を書き始め、既にどのくらい経つのでしょうか。
夫から、若い時、患った痔ろうが再発したらしいと聞かされたのは、真夏の太陽が照りつける猛暑の時季でした。
その後、内視鏡の検査を受け、大腸癌、との宣告をまた受けてしまった旦那さま。
それからは、病院選び、検査、入院と、夫のがん治療のために夢中で過ごした数カ月でした。
その間も季節は確実に巡り、もうすぐ年の瀬を迎える12月。
私の60代最後の1年間が、こんなことで締めくくられる事になろうとは・・・・・・
複雑な思いを抑えることができません。
年が明けると数カ月で、古希を迎を迎える私です。
先日の友人の葬儀で十数年ぶり会った友人から
「Kさんは年齢よりずっと若く見えて・・・・・・。介護疲れはみじんも感じられないわ。
私は、今までIさんが、私の生きる目標だったけれど、突然亡くなってしまって、指針を見失い、どうしようか、と思っていたの。
でもこれからは、Kさんを私の目標にすることにするわ」
との身に余る過度のお世辞に、穴があれば身を隠してしまいたいほどでした。
とんでもない!!!
「見かけ倒しもいいところよ」と、私は言いました。(笑)
一方、思いがけない友人の言葉を励みに、自分磨きにもっと努めなければ、と素直に喜んだ私でもあります。
惜別の情をこんなに感じたことが、親以外であったかしらと思えるほどの悲しい葬儀でしたが、このことについては、また日を改めて綴ることに致します。
今日もまた、夫が突然再入院した、その後の経過報告です。
葬儀を終え、その足で上着を着替え、夫のもとに向かいました。
病室のドアの前で、回診に見えた主治医の先生とばったり出くわしてしまった私です。
K先生がどうぞお先にお入り下さい、と手を招いて下さいましたが、私はとんでもない、といった気持ちでした。
お世話になっている先生方には、足を向けて寝られない心境で、感謝とおすがりしたい気持ちでいっぱいの身です。
無論、チームを組んでおられる三名に先生方の後から、夫の様子を気に掛けながら入室しました。
旦那さまは、すっかり安心しきったような穏やかな顔とは言え、わが家にいる時より、一段と弱々しく我が目に映り、胸騒ぎを覚えました。
そこで、先生の話された内容を、ブログに備忘録として詳しく記述しておきたいところですが、残念ながら、正確に綴れるほどの確かな記憶ではありません。
私は病室に着いたばかり。
夫の病状への不安と葬儀の悲しみで、心は平静とはとても言えない状態でした。
先生を迎える心の準備には程遠く、メモの準備もできていませんでした。
そのため余りよく覚えていませんが・・・・・
付き添った次女の話も入れてお話ししますと、病院に到着した時は、脱水状態がひどく、注射針を差す事が困難なほどだったようです。
脱水症状の恐ろしさを改めて痛感します。
夫が、食事はむろん、水分さえ多くは受け付けられなくなった理由は、私には想像も及ばなかった、放射線による副作用のようでした。
秋の或る日、病院からの1時帰宅時の夕食の献立
私はこれまでブログ上で、抗がん剤より放射線治療の方が副作用が軽いようだ。
だから、自分ががん治療に臨む際は、放射線治療を希望したい、と何度か書いてきました。
私の一番の理由は、女性の命である髪が抜けるのは絶対いや、といった実に単純な理由かもしれません。(笑)
けれど今回の治療に当たり、旦那さまの最近の様子を観て、少々認識を新たにしつつあります。
放射線の副作用は、すぐにあらわれるのではなく、ある程度時間が経過して顕著になるようですから、まさに油断大敵といった感じ。
しばらく気が許せない状態が続くことがよくわかりました。
先が良く見通せず、先々の影響に幾分の不安を抱いて暮らすのも、、中途半端な気持ちを継続せざるを得ず、何とも辛いものですね~
私は旦那さまが治療に当たり始めると、これまでは医師の言葉を絶対的に信頼し、色々な情報に惑わされないように努めてきました。
ですからネットで検索したり、その関連の書物を紐解く事も最低限にとどめてきました。
ところが今回の治療は、福島原発事故以来、注目の的であり、悪の権化のごとく扱われている放射線を使用しての治療です。
昨夜は、多少その関連の書物を見たり、ネットを検索し、言いようのない不安に襲われ、私にしては珍しくなかなか寝付くことができませんでした。
先生のお話しでは、あまり例のない強い副作用が夫の体に出ているとのこと。
先日診察した時はとても良好な状態だったのですが、おそらくその後に副作用が顕著となり、ここ数日で急激に悪化したのでしょう、とのこと。
色々な臓器が炎症を起こしむくんでいます。
そのために食事が受け付けられません、と。
退院後、割と元気な頃の夕食
内臓が炎症?
各臓器がむくんでいる?
私には体内の変化ゆえ、想像もできなくて、それだけになんとも恐ろしい感じがしました。
そして翌日は午後から長女がパパに付き添いましたが、あい変わらず元気がなかったようです。
そしてその翌日の土曜日、私が病室に入ると、夫の周りには今までなかった心電図、血圧、その他の数値を計測する医療機器が設置されていました。
さらに酸素吸入器まで鼻孔にに取り付けられている夫を目にして、私は一瞬背筋が凍るほどの衝撃を覚えました。
「先生が話しがあるようだから、幾度もお前に電話をしたけど通じなかった」と、いら立った口調でYさんが私に言います。
私は、病院に向かう車中で、バッグの中の携帯の音に気付かなかったようです。
「先生のお話し」といった言葉に、私は深刻な事態を予感。
更なる不安を覚え、泣きたいような心境でした。
その内容とは・・・・・・
次回に続きます。
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