今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

肺炎が気がかり 私の苦い思い出

2013-11-10 13:20:44 | 病気

私の住む街は、ツリーのイルミネーションが輝き、早、クリスマスムード一色になってきました。

それで、少々早いかしら、と思いましたが・・・・・・

最近の我が家は、クリスマスでワクワク気分になるどころではない雰囲気です。

せめて毎日開く私のブログのテンプレートは、早めにクリスマスの飾りつけにして、逆境の時だからこそ、童心も忘れず、元気に明るく、と願いました。

私の年齢には、少々かわいすぎる絵柄ですが、小さな少女に、娘達の幼い頃と、孫娘の姿を重ねると、とても幸せな気持ちになれます。

今年も、例年と同じこのテンプレートでクリスマスシーズンのブログライフを楽しみたいと思います。

 

夫の赴任でアメリカ滞在中に求めた木製のオーナメントです。

 

昨日は大層重いお話しをしてしまいましたので、今日は草花のお話でもして、ブログ気分を一新したいところですが・・・・・・

夫の容態は退院後も良好とは言えず、ここ一両日、ますます心配な状況になってきました。

そのため、備忘録として、いまの夫の症状を書きとめておこうと思います。

退院後微熱が上下していましたが、一昨日は朝からその熱が高めで、午後には38℃7分まで上がりました。

主治医のK先生から、38℃5分を超えるような事があれば、連絡するように言われていましたので、早速電話をかけた私です。

 

先生のご指示は、もし来られるようであれば、診察をします、と。

しかし、現状から、それはとても無理なことのように思いました。

その後、Yさんが出て、主治医とお話しし、入院中に渡され、まだ数錠残っている解熱剤を服用して、しばらく様子を観ることに。

 

しかし前の晩、解熱剤を服用したにもかかわらず、翌朝も38℃以上あり、熱は下がっていませんでした。

私は、とても心配になりましたが、

「もうしばらくすれば熱は下がってくるよ」

とYさんは、落ち着いた言い振り。

確かにその通りで、お昼前にはには一度36℃台になりましたが、夜はまた上がり、、38度9分に。

 

先生がおっしゃるには、

「下痢や食欲不振は、放射線治療の副作用で、ほとんどの人が経験することで心配ありません。

二週間もすれば、治まってくるはずです。但し、発熱はあまり例がないので気をつけていきましょう」

と。

 

この熱は、もうそろそろひと月に及びます。

私は、一時、院内感染を危惧しましたが、そのような菌は検出されなかった、と聞きホッとしたものです。

でも、いまだにその熱が下がらず、本当に心配。

院内感染に次いで、私がとても心配しているのは肺炎です。

食欲がなく一周り痩せた今の夫に、体力、免疫力共にあろうはずがありません。

高い熱が続けば、肺炎の危険を疎かにはできない、と私は思っています。

 

 

私が、それを懸念して止まないのには、訳があります。

自分自身が、その病気にかかり、三途の川を渡りかけるといった苦い思い出が、過去にあるからです。

 

次女が中学受験を無事に終え、数日後のことです。

次女のインフルエンザが、私に感染しました。

次女の受験前、ほぼ1年間は、人生の縮図のように色々な出来事に見舞われ、疲労困憊している時のことでした。

家の新築の青写真がほぼ出来上がる、といった嬉しい時期でもあったのですが、そのために私の全精力を使い果たした感がありました。

次女の受験にも、いろいろ気を遣って居た私です。

 

ところが受験の当日の朝、Mちゃんの寝息がとても荒く、額に手を当てると火のように熱く仰天。

何と39度台の熱が。

すぐさま、早朝、かかりつけの小児科医院に電話で連絡し、娘を連れていき、注射を打ってもらい、熱冷ましの頓服を服用。

急激に熱が下降したのを見届けて、受験に臨みました。

親子共に、緊急の事態に、不安と緊張感一杯のまま電車に乗り、受験場に向かった私達です。

ところがその車中で、視線を下に向けたところ、次女の履いている靴が、何と日常用の汚れた運動靴でした。

面接もあり、黒の皮靴が相応しかったのですが。

でもその運動靴が、思わぬリラックス効果を生み出してくれました。

思わず親子で、その頓馬な所為に、顔を見合わせ、吹き出して笑ってしまったのです。

その後、急に気が楽になったことを、今でも良く覚えています。

 

次女は高熱を強引に下げて臨んだ受験にもかかわらず、姉が通っている第一志望の中学に無事合格。

インフルエンザの症状も、みるみる快方に向かっていきました。

ところが数日経つと、同じ症状が現れ、今度は私が寝込んでしまいました。

それまでの1年間、多忙を極め疲れ切った体には、抵抗力も免疫力もまるでなかったのでしょう。

一向によくなってくれません。

熱冷ましの頓服を飲み、一時的に下がっても、また39度台まで上がると言った症状の繰り返しで、自らの体力が次第に弱っていくのが、自分でもよく分かりました。

そのころ、、母が上京し、一緒に暮らしていました。

風邪で寝込んではいましたが、家族の事は母に任せていられ安心していたのですが。

そしてある日の夕食。

私はいつになく食欲がわき、一瞬息を吹き返したかのように元気になりました。

その夜のことです。

 

 

真夜中、幸いにも目が覚め、自分が虫の息であることに気が付いたのです。

大きな重しが肺と心臓を押しつぶしていると言えば良いでしょうか。

臨終前の、波動のない一直線の心電図のような状態だった、と言ってももいいかもしれません。

浅い呼吸で、ほとんど息が出来ない状態でした。

気丈にも、隣の夫にか細い声で呼びかけ、救急車を至急呼んでほしい、と自らお願いした私です。

 

Yさん、母、子供達も、さぞ驚いたことでしょう。

私は意識が薄れる中、覚えているのは、救急隊員が手足などのマッサージをしていたことぐらいでしょうか。

上の血圧が、40あたりまで下がったようでした。

真夜中に、まだ命を落とすのは早過ぎる、と神様が思われ、私を起こして下さったのかもしれません。

目が覚めないで、そのまま朝を迎えたなら、家族が気が付いた時には、この世の人でなくなっていたかもしれませんね~

 

入院してからは、数日、酸素マスクをつけた状態でした。

退院してからも、半年くらい突然地の底に沈むような感覚に度々襲われ、苦労しました。

けれど、くよくよしないどこかいい加減さがある性格が、その症状を一年ほどで乗り越えさせてくれました。

 

しかしこの苦い経験は、風邪を甘く見てはいけないことと、肺炎の恐ろしさを痛感させてくれました。

ゆえに、熱が既に一カ月近くに及ぶ夫の症状を、殊更心配してしまう私です。

 

ただ一つ、とても嬉しいことは、旦那さまに食欲が出てきたこと。

昨日の朝は、トースト、オムレツ、リンゴ3切れ、ヨーグルト、コーンスープでしたが、ほとんど残さず食べてくれました。

先生がおっしゃる通り、副作用が治まってきたのかもしれません。

食事がよくでき、体力が付くに従い、熱も下がってくれるとよいのですが・・・・・・

熱が下がれば、私が付き添ってでも、15分程度のお散歩をしてもらいたい、と願っています。

お風呂にもつかりたくて仕方がない様子の旦那さま。

熱が下がった時に、今日は私の介護付きで入浴もさせてあげたいものです。

私なりに工夫し、短時間ですが湯船に浸ってもらい、その中で石鹸を使用して体を手早く洗って上げましょう。

その後、シャワーで洗い流す予定でいます。。

 

直腸がんの患部が、本当に快方に向かっているのか今のところまだ分からず、何とも不安ではありますけれど。

くよくよしても始まりません。

先生を信頼し、毎日、私が出来ることを精一杯努めていくつもりです。

 

他に、昨日の朝、とても感激する嬉しい事がありましたが、それについてのご報告は、日を改めさせていただきますね。

 

      

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今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 


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