美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

心の通い合う知己に囲まれているなどという、麗しい幻想を嬉しがる人間に偉大な英雄の魂が宿ることは決してない(バルザック)

2023年11月29日 | 瓶詰の古本

 確かに今日に於てなら公平な歴史家は総て、ナポレオンの度外れた自負心が、彼の失脚した数多の理由のうちの一つだつたことを、認めるに違ひあるまい。而もナポレオンはその欠点のために、実にむごたらしい罰を、受けたわけである。この疑ひ深い皇帝には、青くさいその権力から来る嫉妬といつたやうなものがあつて、これが彼の行為の上に作用するはもちろん、彼の考へを其の儘委せられるやうな内閣をつくれる敏腕な人達、――何れも大革命の貴重な遺贈物とも云ふべき連中だが、――かうした人達に対する彼の隠れた憎悪の上に、深く影響したのである。
 ボナパルトに猜疑の念を抱かせたのは、たゞにタレイランやフーシェばかりではない。
 一体簒奪者にとつて始末の悪いことは、自分に王冠を載せてくれた人達や、王冠を奪はれた人達を、同時に敵に廻さなくてはならないことである。ナポレオンは嘗ての自分より目上の人達や、同等の人達、乃至はわれこそ正統の権利者と心得て反抗する人達を、彼の主権の絶対権力をもつて、余すところなく承服せしめることが、つひに出来なかつたし、また誰一人としてナポレオンに対して、忠誠の誓言に縛られてゐると思ふ者もなかつた。

(「暗黑事件」 バルザック 小西茂也訳)

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