確かに今日に於てなら公平な歴史家は総て、ナポレオンの度外れた自負心が、彼の失脚した数多の理由のうちの一つだつたことを、認めるに違ひあるまい。而もナポレオンはその欠点のために、実にむごたらしい罰を、受けたわけである。この疑ひ深い皇帝には、青くさいその権力から来る嫉妬といつたやうなものがあつて、これが彼の行為の上に作用するはもちろん、彼の考へを其の儘委せられるやうな内閣をつくれる敏腕な人達、――何れも大革命の貴重な遺贈物とも云ふべき連中だが、――かうした人達に対する彼の隠れた憎悪の上に、深く影響したのである。
ボナパルトに猜疑の念を抱かせたのは、たゞにタレイランやフーシェばかりではない。
一体簒奪者にとつて始末の悪いことは、自分に王冠を載せてくれた人達や、王冠を奪はれた人達を、同時に敵に廻さなくてはならないことである。ナポレオンは嘗ての自分より目上の人達や、同等の人達、乃至はわれこそ正統の権利者と心得て反抗する人達を、彼の主権の絶対権力をもつて、余すところなく承服せしめることが、つひに出来なかつたし、また誰一人としてナポレオンに対して、忠誠の誓言に縛られてゐると思ふ者もなかつた。
(「暗黑事件」 バルザック 小西茂也訳)