「ありがとうございます。失礼します。」
肘付きの極々簡素な木製の椅子ではあったが、沈み込みもせず窮屈に反撥もしない、なんとも落ち着いた好い座り心地がする。ははあ、古本の群れに四囲をかこまれるということ、不死の紙魚たちが吐くかび臭い空気に包まれるということが、私の身体にとっては椅子の椅子たる安楽への門であったのかとあらためて教えられた思いがした。
「お送りいただいたご本は拝見させてもらいました。」
水鶏先生は腰を降ろしざま真正面からこちらを見据えながら、くぐもった言葉を轟々と鳴り響かせて来る。
「どこの馬の骨とも判らぬ者のぶしつけな疑念をお聞き届けいただいて、恐懼の至りです。」
「いやいや。そんな大仰なことをおっしゃっては困る。こっちは暇を持て余しておるただの穴居人なんだから。本好きの素人にさえなり損なった偏頗な男に過ぎんのですよ。」
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