結局、ひとりで歩く技術は誰にでも開かれている。ただ、それを習得するだけの無思慮をかき集めることは、誰にでもできるわけではない。夢に見た、ほの暗い坂道、滑走路のようにろうそく状に光る道はどこにあるのだろう。あるいは、古びた寺院の庭、汀に色様々な花が咲く池はどこにあるのだろうか。歳経た七段のきざはしで、誰に逢い、なにを告げればよいのだろうか。
気を抜くことは偽善を避ける方法だろうか。息詰まって語ることは田舎者の仕事だろうか。そして、幻想の洞窟の奥に広がる王国だけが、胸を騒がせる。神話圏を放逐された全ての人間が識域下の底に求めるのは、たった独り暗がりの牛が知るところの王国なのではあるまいかと。
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