美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(百三十九)

2018年05月02日 | 偽書物の話

 水鶏氏の宥めの言葉は、時宜にかなえば心の揺動を鎮めるうってつけの頓服になっただろうが、膝の方から胸元へ締め上げる物慣れない悪寒に悩まされるその時の私には、差し伸べられていた腕先がさっさと退き遠ざかる身の躱しと響くのである。水鶏氏が打ち明ける自心の発掘譚に身を入れて耳傾けず、いつ果てるとも知れぬまどろっこしい繋辞の反復に辟易して、黒い本の柔肌へ逃亡した報いは覿面で、島影一つ見えない冥闇の海へ偽書物の筏もろとも無情に送り出されている。
   水鶏氏をして、自心の唯一無二を揺るがさしめたのは、私ではない。私にそんな詐欺師的知能が備わっていないのは、これまでの鈍間な受け答えから歴然だ。では、そのように謀ったのは偽書物であると言い張ったら、これ又無実の罪のなすり付けである。水鶏氏の見聞きした別世界は、文字を介さずして氏の自心と偽書物の自心(一つあるか二つあるかの詮議はさて措き)とが呼び交わし、現われ出た異例のものである。水鶏氏が潜意識で冀い、先触れを察知し予て待ち設けていた別世界ではない。かえって、永く温めて来た持説である別世界の実在、その根基となる自心の実感が侵奪されかねない、濁った混音をも孕んだ世界なのである。現下の水鶏氏には、たかだか偽書物に差し挟まる絵画面である。そこへ浮き出た人物の顔容に私の面差しが乗り移りつつあるのではと縁起でもない禍言を吐いた日には、黒い本にぴったり添い臥しされて頭のネジが逆さ狂いに回り始めたと、真底気味悪がられるに決まっている。

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