美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

人造の美人(堀誠之)

2013年03月03日 | 瓶詰の古本

宇宙間の万物の成立を疑ひ遂に自家の成立すら疑ひ古代の哲学者が百年の苦辛を以て研究したる理屈を総て排斥し去り別に一機軸を出せる近世哲学の鼻祖デカルト氏は常に一種の説を有せり そは如何と云ふに凡そ獣類の如き下等動物は目能く見、耳能く聞き口能く食ひ凡て人類と同一なる機関を具備すると雖も素と精神を欠く所の動物なり 故に若し精巧なる技術を以て之れを作るときは決して作り得難きにあらず 特り下等動物のみ然るにあらす人類と雖も夫の小児の如き若くは瘋癲白痴の如き知識もなく精神も確かならざる者は人為を以て製作し得難きにあらず又之れを以て下等動物位の動作を為さしむることも出来難きにあらずと氏は熱心に之れを唱へたるのみならず曾て和蘭陀にありし時非常の財貨を抛ち非常の苦辛を費して時の名工を集め一個嬋娟たる少女を作らしめたるに誠に上出来にて進退動作共に常人に異ならざりければデカルト氏は我子の如く愛しフランシインと名を命じ常に座右に置て玩弄せり 来訪の客人抔は人造なりとは露知らず全く子が息女なりと思ひ丁寧に挨拶するものもありしと云ふ 斯てデカルト氏は和蘭陀を去り舟路本国独逸に帰ることヽなりしかば氏は少女の途中に破損せんことを恐れ之れを箱に入れて船長に托し此の品物は破損し易きものなれば大切に取扱ひ呉れよと特別の依頼をなしたり 然るに船長は何となく之れを見たくなり四辺に人の居らざる時を見済まし私かに箱の蓋を取去り中を覗はんとせしに忽ち嬋娟たる美女の躍出せしにぞ船長はアハヤと驚き熟々思ふ様人間社会にはヨモヤ斯る尤物はあるまじ 何にしろ是れは妖魔の類に相違なしと軽忽にも合点して持主に相談も遂げず例の少女を捕へて之れを海中に投ぜり 斯くと聞きてデカルト氏は大に驚き恰も愛児を失ふたる如くに歎き悲めりとなん

(「今古雅談」 堀誠之)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 偽書物の話(三十) | トップ | 均一本購入控 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

瓶詰の古本」カテゴリの最新記事