世に媚びて文を作らば文文にあらじ。互に結んで名を求めんには名も名とするに足らざらん。まことや、曲学阿世、己を枉げ時に媚びて文を作らば、文に天真爛漫の姿態も無く気魄も泯びて、所謂一字の巧、一句の妙ありて、全章の巧、通篇の妙なきものたるべく、雷同附和、互に賛し互に諛ひて名を求めんには、名は人情結託の腐気に汚れ、臭味を帯びて、所謂一郷の名、一党の誉あれども、百代の名、千年の誉なきものとなるべし。されば阿曲の文人は、幸にして順風に帆をあげ、一時の勢ひ千里を走りて、銜へ煙管にくゆらす煙草の薄舞(うすまひ)の煙り悠々としてあつぱれ智者めかしたりとて、もとよりおのれの力にあらねば、帰依の根本たる風の神袋の口を閉ぢ玉ふ其の時は、忽ち火皿に火の消えたありさまとなりゆく末を如何にかせん。いつはりの名を得たる才子は流行の潮先に乗る猪牙舟(ちよきぶね)仲間、たがひに油をかけ合ひの声のみ大家を気取るとも、孔雀の羽を粧ふた阿呆鳥に異ならず、烏合の勢の仲間われして終には恥をや流すらん。いでや文章を作る者の本相を云はんに、自己先づ感ずる所あつて而して後に溢るゝにまかせたる汪洋荒侈の十万余言は莊子が面目なり。自己先づ悲しむ所あつて而して後に流るゝにまかせたる泣涕悲哀の幾多の文句は、屈原が面目なり。韓非が饒舌も、史遷が軍談も、退之安石が理屈捻りも、風來支考が洒落飛ばしも、諸葛軍師が涙の手紙も、皆是れ自己ありて後、自己の文章ありたるにて、世の文章ありて後、之を真似び、之をぬすみ、之をしやぶり、之にあまんじ、之をまるのみにして之を吐き出し、此が香を取りて何首烏玉(かしゆうだま)にぬりてくす玉と号し、此が形を似せてシンコ細工を象牙細工と欺き、此が愛すべき文理、尊むべき光沢ある虎の皮をきりぬきて、犢鼻褌となし、昻々乎として人にほこり、揚々然として客に高ぶる猿芝居の雷様をまなべる者ならんや。
(『猿小言』 幸田露伴)