男はいつも外を歩き回り、決して庇の内に入ろうとはしない。雨の降りしぶく空の下、怒り狂う雷の白刃が落ちる黒暗の下、男は歩く続けるのである。歩きながら眠ることの出来る脳細胞は半々に働き息み、思考し微睡んだ。歩きながら飲食し、歩きながら排泄し、歩きながら学問をし、着ているものはいつも変わらず黒い衣がひとつ。不思議に綻びることなく、どこにも傷を与えぬ衣だった。歩きながら本を読み、歩きながら歌を歌い、歩きながら詩を賦す男を、月と陽の下に見なかった者はこの里にいない。男は歩き男なのか。不休の体を持つ不死の魂なのか。
いつも道のかたわらをえらんで歩き、人々はみな男に道を譲り、しかし、誰も男に道を聞きはしなかった。家はなく、妻もなく子もなく、女もいなかった。友もなく師もなく、この里の外へは一歩たりとも踏み出すことがなかった。
親は何処にいたのだろう。母は男を追って泣いたか。父は男をとらえて諭したか。男は、誰の記憶も届かぬ昔話の中で生まれて子となり人となり、今や絶えず歩き続けている。男は、天地が出来てこの方経験した、全ての洪水と造山とを知っている風の歩き振りを已めようとしない。