か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

僕は島原へ具雑煮を食べに行った その3 (最終回)

2019年04月10日 | 食・レシピ
食事後アーケイド街に行った

アーケイド街が寂れるのは生活スタイルの変化のせいだといわれる。 そんなことが原因ではない。本気で考える癖がないバカにはわからない。

アーケイドの中に時計店

沼にはまった白鳥が最後に羽ばたいていた

 

たとえば、船が沈むのは浸水したからだとか、頭が痛いのが頭があるからだという文章のどこに誤りがあるだろうか。

否、文章に誤りはない。内容にも誤りはない。浸水しなければ沈まない。頭がなければ頭痛もない。

だけどこの文章の異常さはたいていの人が気が付く。それはことの本質から照らしてこんなことを言う陳腐さを理解するからだ。

 

自民党はもちろん、公明党まで地方破壊に加担しておきながら口では地方創成を叫ぶ。日本の98%は、過疎が加速して悩んでいる。何が創成だ。

一方でバカは言う。「当たり前だ。産業競争力を維持拡大するためには分散による非能率を避けねばならぬ。」

その通りだが、先ほどの屁理屈の例でわかるように、ここでの本質はそれで幸せに生きる世界が来るかということだ。

バカは、そんなこと言っても諸外国との競争に負けて貧乏になったら幸せどころではない。悠長に構える余裕はないのだという。

つねに貧乏ににおわれて生活してきた人は銭カネこそが幸せへの特効薬だという前提で物事を考える。北欧諸国のGDPはいくらか。ブータンはどうか。日本は一時、EU全体のGDPを凌駕した。

じゃあその時は幸せのエクスタシーだったな。

 

そんな考え方が蔓延する日本は今後も価値ある昭和を消してゆく。風情とか情緒とか、銭カネにならないものは経済性という化け物が消していく。

ここで狂った動きを始めた経済に制動をかけ社会を修復できるのは、政治のほかにはない。、その政治が地方を破壊し口先は地方創成という。国民を欺くペテンじゃないか。

 

島原のアーケイド街はいずれ消える。それが良くないものなら消えるがいい。

そんなことはない。アーケイドに覆われると町は小さな宇宙になる。そこでの強固な共同体意識は自分の体の一部のように街をいたわる意識に満ちている。

今はやりの自己責任というガサツで不勉強なバカに受ける概念は人と人との連帯を断ち切る恐ろしい考え方だ。他人のことなんか構っちゃあいられないという考え方は、人らしさ、人らしく生きること、連帯による共同体を否定している。

 

消えかかるアーケイド共同体は回復不能だろう。また、無理に再生したところで商店街なんて必要ないという考え方のもと諸政策が行われるから「創成」するはずがない。

平和の象徴が鳩だからといって鳩をかわいがっても平和にはならない。

 

昭和の灯よ、どうか消えないで

窓は泣いていた 湧水亭

 




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