ぼくは香港、とくに返還前、が好きだ。あるとき、まだ九龍城があってアバディーンに日本人が少なく、落馬州(ロウマチョウ)にはまったく日本人がいなかった頃、仕事(出張)で立ち寄った香港が気に入ってしまった。
こんな自由な都市があったのか。驚きだった。
自由と安全は無関係だ。ふつうの人々の中にすら泥棒がいてチンピラもいる。若かった僕は、カンフーに勝つはずはないが、気合で圧倒するんだいう根拠のない空威張りをして香港に乗り込んだ。
それを100回繰り返した。
からけんといえば韓国だと誤解する人がいる。僕の気持ちは韓国なんかにはない。ずっと、Hong Kong Yacht Culbやアバディーンの海岸にある。
パククネクネやアカヒやマスゴミやらであたまがいっぱいになってる人達は同じことをいつまでも言う。だが馬鹿のしつこさはとりえかも知れない。ま、坩堝の中でうごめくがいい。井底の蛙だな。馬鹿の一つ覚えか。ぼくは食傷した。
じつは、僕の関心事が韓国であったことはない。
関心事は常に香港に在った。香港大学の学生の鋭い頭脳、なんでもないことで人を刺す香港マフィアのよく分からない獰猛さ・・・ 乞うご期待。
いまは体の動きが悪くなったので危険だ。もう行けなくなった。楽しめるときに楽しまないとチャンスは二度と来ない。この僕ですらもっと遊べばよかったと思う。
満員電車の中ですり減らしているのは、体力ではない。人生だ。
貧乏人には分からないがひがみばかりではいつまでも貧乏だ。
じつは、宝くじよりはるかに高い確率で、貧乏から抜け出す手段がある。教養を積め。マンダリンの午後の紅茶をきちんといすに座って飲む。子供は静かに尋ねる。
「パパ、ケーキもらっていい?」
僕の子供の上品さを見よ。
おまいらの子供は大声を出し、親の許可なしに回転寿司の皿をレーンからかき集めるだろ。そこに貧乏から抜け出す可能性はまったくない。 下品だ。