あなたの娘が強姦され殺され死体が川に浮かぶ。元気に家をでたかと思うと数時間後には川面に犬の死体のように浮いている。
池上彰は、凶悪犯は減っているし少年犯罪の凶悪化の証拠はないといった。ホームラン級の馬鹿とはこのことだ。
減っているということと、あっていいということは異なる。「ある」ということと「あっていい」ことを区別できないのはジャーナリストではない。こう言うと、僕の意見に怯えて返す言葉を持たなかった。
池上のような「解釈」はもうたくさんだ。強姦被害者が一人だろうが1万人だろうが関係ない。ポイントは、14歳で人生を消され川に浮いていることだ。
検事は通常こう言う耳目を集めない事件は、若手が担当する。練習の場だ。5年も経てば検事をやめ、依頼の多い検事経験の弁護士先生として稼ぎまくる。裁判官は世間を知らない。セキュリティ上夜中にドライブすることはない。
つまり、彼ら裁判官は暴走族を知らないのだ。単純な知的障害スレスレのマヌケたちがいかに凶悪であるか知らないので、担当する事件のみが突発的に起こったと判決を書く日まで信じている。
今回の判決で特徴的なのは「共感性の欠如」がキーワードとして論理が展開されていることだ。
共感性がないので被害者の悔しさ、無念さ、自己の残虐性に気がつかなかったそうだ。あふぉ。ホームラン級のあふぉ。ムショに5年いれば共感性が身についてよい子になると判断したのは誰だ。裁判所。お前だろ。
被害者の人権はどうなるんだ。死んだら人権も消えるのか。
確かに裁判所は今日の社会構造を守るところであり、被害者を救ったり加害者を懲らしめたりするところではない。だが、それではあまりにも「やったもん勝ち」の世の中を作る。いや、もうすでにそうなってしまっている。
政治家なら選挙がある。裁判官は可視化すら拒絶し身分保障の中からでてこない。だからこんな的外れな判決を出すのだ。
引用はじめ
三重県朝日町の空き地で2013年、中学3年の女子生徒=当時(15)=の遺体が見つかった事件で、強制わいせつ致死罪などに問われた少年(19)の裁判員裁判の判決が24日、津地裁であった。増田啓祐裁判長は「犯行は悪質で強い非難を免れない」と述べ、懲役5年以上9年以下の不定期刑(求刑懲役5~10年)を言い渡した。
時事通信 3月24日(火)
引用ここまで
「犯行は悪質で強い非難を免れない」ならなんで強姦人殺しを5年にした。