自転車に乗って走りながら1メートルの高さから水平にピンを投げて地上の長さ1センチ幅1ミリの的に当てることを神技と言わずして何であろう。
職人技の粋を極めたと言ってよい。最新式の九六式艦上爆撃機ですら爆装は3個が限度だ。しかもたった12機で攻撃した。そのうち2発はパネー号に直撃し随伴する油槽船2隻も沈めた。
この九六艦爆はパネー号だけを狙ったのではない。当時南京は混乱の極みを呈し、長江には川を埋めんばかりに中国船がいた。無駄になった爆弾はほとんどない。艦爆隊の錬度の高さは世界最高だったに違いない。
逃走する兵は殺せという命令が出ていた。ほぼ南京を手中に収めた帝国陸軍は、敗残兵の処理をのこすのみであった。
もうひとつの命令。俘虜は殺せ。これが便衣に知れわたるや混乱は極値に達した。川岸まで殺されずにかろうじてたどりついた者も長江を渡る手段は限られていた。運のいい者は船をつかまえた。そしてさらに運のいい者はパネー号に乗った。
国民党の名誉のため言うが、正規兵の中には頑強に抵抗し孤立した中で機関銃を撃ちつづける者がいるにはいた。灼熱した銃身を素手で交換してはまた射撃を続けた。
ただ大部分は気が狂ったように逃走を図るか、ダメと見ると簡単に俘虜になった。想像をはるかに超えた俘虜を抱えた日本軍はその処置に困った。10000人の俘虜には毎日30000食が必要だ。将兵の糧秣にすらこと欠いていた日本軍は打つ手をなくす。戦争計画のずさんさ、あいまいさ、低能さ、愚かさ、しろうとぶりが露呈した。
それにひきかえパネー号に対する処置は早かった。大本営自ら陸海軍そろって弁明と謝罪と賠償に奔走した。アメリカの参戦の口実に十分なりうる事件だからだ。ここにも戦争指導部の低能ぶりがよくあらわれている。
アメリカは日本の釈明があろうとなかろうとやるときはやる。しかしこのときはアメリカの参戦は絶対にない。1823年以来のモンロー主義はまだアメリカに根強かった。戦争はヨーロッパのアホどもがやることだ。アメリカは戦争しないことで豊かになった。これらの考えが合衆国を支配していた。わずかな中国にあるアメリカ権益のためにアメリカの若者を死なせることはない、という意見が支配していた。
この動向すら分からずに謝ればなんとかなるだろうという下品な無定見をさらしたのが日本だ。
パネー号は砲艦だ。油槽艦すなわちタンカーを3隻ともなっていた。当然に中国空軍に提供されたであろう石油だ。その可能性のあるものは攻撃してよい。それが国際法だ。
情況を読まない。ただ強い者には弱い。弱い者には狂ったように強い。太平洋戦争に突入する前にすでにこの時点で太陽の帝国の欠陥は明らかだった。