か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

千栗(ちぐり)神社 村田神社

2019年01月05日 | 日常

この二つの神社は1キロほど離れている。佐賀県鳥栖市あたり。両社とも長い石の階段の上にある。三社参りの続き、残りの二社。

千栗神社は昔、柔道の古賀さんがその階段を駆け足で上り下りをして足腰を鍛えたところだ。


僕は「10万もらっても走らんぞ」といったら、「100万なら」と返してきた。100万か、別に迷うこともないな。心臓、血圧、糖尿。いずれも絶望的な状況になってきたが、がぜん笑顔になって駆け上がる自分が容易に想像できた。

「僕は100万でも行かんな」と言うと、「顔に出るタイプやろ、見え見えばい」

女は、人の表情を盗み見したり相手の言葉の裏を邪推する能力にたける。女の3歳は男の30歳に等しい。

心の純粋さにおいて男が優位に立つのだが、そういうと、「ん~ならみんな女はつまらんものやね。ん~ならかわいい巫女さんを探すこともなかよね」

あ~言えばこ~言う。男は口では不利だ。脳の言語野に著しい差がある。

 

先日の熊本和水(なごみ)町の地震の時、うちもかなり揺れた。僕だけすばやくテーブルの下に隠れたのでそれ以来彼女の機嫌が悪い。低気圧がずーっと続く。

男はしばらくすると面倒くさくなって、もうどーでもよくなるが女はそうもいかない。完全無欠の執念深さ。くわばらくわばら。

 

村田神社。

元来花見とは梅の花を指した。梅は息が長い。一か月間、昔の人は花見をした。今は1時間以内に終える。酒を飲んでもせいぜい一日だ。怒涛の資本主義は巨大な自転車操業だな。

 

千栗神社。

「宝暦」「元禄」「元和(げんな)」の年号が刻んであった。

根元から空を向いて広葉樹をとる。葉は互いに重ならないように広がる。貴重な日光を分け合うのだ。

 

近所にカレー屋があり行った。インド人がいた。アフリカの黒さと違ってこげ茶だ。子供のころ、僕は「インド人のくろんぼ」と声を出しながら遊んだ。…

さあここらで人種差別だ、男女差別だとが目くじら立てる「こんな人たち」の登場じゃないか? いやいやそうじゃなくて、ぼくも反省しているからどうかご勘弁を。

インド人のくろんぼなんてとんでもなく失礼なことを言った。インド人はこげ茶だ。

ナンや🍚のお替り自由。ラッシー(左の牛乳みたいなの)がインドになかったら僕にインドは必要ない。インドで食えば40円だが、ここインドみたいな佐賀で食うと3000円。

そんなもんだろ。絶望と殺戮のイラクではガソリンは1円だ。日本はアメリカのぽちだ。が、言いなり小僧もいいもんだ、思考停止すれば何でもできる。イラクに奉仕した自衛隊。ばか。

ただでさえがむしゃらな資本主義の下、追われるように働いてついに考えることをやめた葦原の国の人々。どうせ過労でこう↓なる。

神社ではいろいろ学べる。

 

 


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