宇宙は膨張している。遠い星ほど観測できる光の波長は、長くなっている(ドップラー効果)。ピーポーピーポーのサイレンが遠ざかるときは低い音になるのと同じ理屈だ。
ということは、地球を中心にあらゆる天体は遠ざかっているのか。一面正しいが正確ではない。
少し膨らました風船に碁盤の目を書き、その線がクロスした点にどんな順番でもいいからアルファベットをつけていこう。A点、B点、C点、D点、・・・
風船をさらに膨らませると、このA、B、C、D・・・はどの点から見てもお互いに離れていっている。つまりどこにも中心はないのである。
100億年以上前、Big Bangが起こったので、そこを中心に宇宙が広がっていると考えると、不都合が多い。隣にいる人と自分も離れているのであり、仲秋の名月も地球から離れつつあるのだ。
時速30キロで離れている人がこちらに向けて時速40キロでボールを投げると、観察する人にはボールは40-30=10キロで近づくように見える。B29の尾部銃座がほとんど威力がなかったこともこの原理だ。
ところが光の速さは絶対的だ。光というボールをもつ人が何キロで走ろうと、前に投げようと(光を出そうと)、後ろに投げようと、投げられた光の速度は30万キロ /secで一定なのだ。変化するのは波長だけだ。速度に変化はない。100億光年以上の遠くにある星雲はみんな赤い。(赤方偏移)
もうひとつ絶対的なものがある。それは素粒子の構造だ。すべてが膨張するからといって、電子が時間とともに陽子から離れることはない。
これら絶対的なものにもっと正確に頼ることが出来たら、われわれはもっと多くのことを知ることができる。
水深の分からない池にボートで漕ぎ出したら不安だ。もし棒切れがあって絶対的な深さを知ることができたら、船上の自分たちは安心するはずだ。
当面その基準は揺るがないと思う。が、もっと多くの尺度を得ようとするのが素粒子の研究目的だ。
世の中が見たままなら天動説は真理だろう。自分が宇宙の中心であれば安心するだろう。
それはあまりよろしくない。自分の低能を棚に上げて学問の邪魔にしかならない奴が、大和民族が特段に優れていると絶叫する。名月が笑っている。
同様に中国という名前自体が、思い上がったようで、田舎者の好みだ。地球という球体の表面には中心になるところはない。
かわいい猫の顔が印刷された猫缶があった。おいしそうだね、と中国人たちが話していた。
彼女たちは大きな誤解をしている。それは猫のえさの缶詰であり、猫の缶詰ではない。
「おいしそうだね。」とか、聞きたくなかった。誰だ、こんなのの入国を許可したのは。
安倍だ。