か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

増える冤罪、笑う真犯人。マイナリさんよかったね。

2013年01月30日 | 裁判

そのまえに考えを整理しておかなければならないことがある。冤罪(誤認による逮捕起訴裁判刑の執行)で一人や二人死刑になろうとも、真犯人が捕まる事件が増えるなら世の中は安定し、ひいては日本のためだと考える学のないのが増えてきた。

酷いのになると日本の戦後民主主義は言うに及ばず、あの明治憲法ですら認めていた令状主義を否定し悪い奴はさっさとつかまえて殺せという小学校5年程度のおつむの人間も増えてきた。

国権は、三権(立法、司法、行政)とも戦前の自白中心主義、戦後も残った検察の権威主義、成果主義による誤判を防ごうと網の目の様な法や組織や手続きを確立しているのに一度にぶち壊す不勉強はよしてほしい。

たとえば分かりきっているなら、なぜ3回も裁判をするのかという疑問を抱く人はいないか。判決はもちろんのこと決定や命令に対しても日本国民は上訴できる。場合によっては再審の道もある。このまどろっこしい手続きと異常な細かさこそが他のいろんな三権の民主主義を支えている。

検察の取り調べ調書作成においてはビデオ記録などによる可視化により強要がなかったことを世間に明らかにするようになった。

これでは犯人が自白するはずがないと考える方は江戸時代に戻り大岡裁きでも受けるがいい。密室での取り調べは必ず拷問を生む。ひとは追いつめられたらなんでも白状する。なりすましてパソコンに侵入しハッキングを意図した真犯人に対し、被害者たる侵入されたパソコンの持ち主はありもしない犯行を自供したばかりじゃないか。

当たり前だが東電の売春婦の体は精子まみれだった。なぜマイナリ被告を犯人と特定するのかという至極もっともな弁護団の意見についぞ検察が耳を貸すことはなかった。「特定」なしに加罰できないのが日本の刑訴だ。たとえば売春婦の体内に残る5人の精子の中にマイナリさんの精子があったとしても「特定」はできない。

つまり、重加罰による犯罪防止を主張する勢力は自分や家族が殺られる恐怖におびえている。ばか。それで犯罪が減ったためしがあるか。それは別の思いつきでやってほしい。少年院を慰問したら。刑務所に花を送ったら。

刑法は犯罪防止のためにあるのでは断じてない。飯塚の久間三千年が刑死した。(飯塚事件)彼は無罪だった。一人が冤罪で死刑になろうとも100人の犯人を死刑にできたらそれでいいのか。

その社会をなんというか。ファシズムという。大逆事件はでっち上げで大勢が死刑になった。甘粕事件は裁判すらなく犯人は満州国のナンバー2になった。

このとき、今以上にそこらの人殺しは拷問により刑台の露と消えていった。なんせ自白したんだから。(自白は証拠の王様)

だからよかったわけか。だから日本は安全だったわけか。(飯塚事件については2月26日、3月12日のブログに書いています)

Posted at 2012/11/04

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