か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

みんなで遼太君の仇を討とう

2016年02月06日 | 事件事故

引用開始

川崎市の多摩川河川敷で昨年二月、同市内の中学一年、上村遼太(うえむらりょうた)さん=当時(13)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われた主導的立場とされる少年(19)の裁判員裁判が四日、横浜地裁(近藤宏子裁判長)であった。上村さんの父親が震える声で意見陳述し、「遼太を失った悲しみが減らされることは一生ない」と涙ながらに語った。

 「遼太はとても気の小さい子。複数に囲まれて抵抗できるはずがない」      引用終了

                                         東京新聞 2016年2月4日 夕刊  

13歳から見れば19歳というのは恐ろしいほど大人だ。2月の夜に暗闇の川を泳がされ数十箇所も殴られ切られ、あげくに首を切られて死んだ遼太君。

僕は求刑を見ておどろいた。一人殺しても残酷な殺し方をしたり面白半分に殺したら、死刑判決が下されてきた。ところが検察は、死刑廃止の動きが強まる中、当たり障りのない落としどころを探しだした妥協の求刑だった。

10~15年の求刑とは僕は怒りが心頭に達した。

これでは判決は必ず8掛けになるので8~13年の刑だ。間に3回のオリンピックがあるのでよほどのことがない限り模範囚になって恩赦もあり6年で出る。

これはおかしい。殺されたもののみが損をする社会だ。国家が、社会秩序を乱したものをこの世からちゃんと隔離したり殺したりしてこそ、われわれは国家権力のひとつである司法に信頼を置くことができる。

人殺しをほんの5~6年隔離してお茶を濁す司法なら、社会秩序は保たれない。

殺されたら殺し返すということが蔓延してはいけないので、十分犯人を懲らしめて労役に処するのではないか。(懲役)

それが機能していない社会なら、なんで敵討ちがいけないことか。

犯人は死刑を覚悟しているといった。ずるい。19歳は死刑になりにくいのを見越して反省したフリをしている。

たとえ反省しても、やっただけの苦痛は味わって死んでもらおう。

引ったくりの映像があっても、犯人の顔にぼかしが入り、被害者は顔をさらされる。おかしくないかい。

 

 

 

 

                                                            


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