昔住んでいたところや、生まれたところを歩くのはとても穏やかな気分になる。上の写真の山車(だし)は踊りヤマといって各町内がひとつづつ出した。
人が多く元気なところは「どろつくどん」という祭りの名前にもなる特殊な山車がでた。興奮した民衆は各地でケンカをした。子供の僕は大人がサルみたいにひっくり返って殴りあうのが面白かった。
夏の祭りだ。冬は「さげもん」。2月14日から開始だが、すでに町はさげもんでいっぱいだ。客が多くなる前に行くのが得策だ。
名物、うなぎめし。蒸篭(せいろ)で蒸すので、味がしみこむまでどうしても30分はかかる。10メートルの行列でもちゃんぽん屋とはわけが違う。2時間は最低待つだろう。
その「うなぎめし」の老舗は、本吉屋である。どうせ酢酸ビニルのタレだとか、しらけることはいわないで食ってみることだ。
向かいに大松下の飴がある。子供用三輪車で行ったり来たりしたところだ。すべてが家から50メートル以内の箱庭だったが、僕には世界だった。
上記の写真を個室で食うと、5000円だ。車には10000円でガソリン入れてるじゃないか。穴掘って埋めたくなるブスと行けば資源の浪費だが、打てば響く絶妙の会話とともに食えるのならこんな安いものはない。
ぶらぶら見ていた。もうこの年になると誰も僕を知らない。もう何十年もここで商売をしている、さげもんもどろつくどんも頑張ってきました、という声を聞いた。たくさん聞いた。僕とは2世代も3世代も違うのだ。
ところがある眼鏡屋さんの店先のさげもんは、赤ちゃんを一番下にした伝統のさげ方だった。
ほぼ100歳のおばあちゃんがいて、僕のことを聞いてみた。僕は子供のころ、何度かここに遊びに来たそうだ。祭りがにぎわっていたこと、シャッターを下ろした店はなかったこと、僕があまりにもかわいい赤ちゃんなので協和銀行のオネエチャンが抱いて離さなかったこと。とにかく人が多かった。・・・
あたしゃ、からけんさんを柳川始まって以来の秀才とおもっとったよ。なんね、先生にしかならんかったね。・・・人がガックリすることを言うが、明治の学のある女性はスケールが大きい。
ばあちゃんとはまた話そうねといって分かれた。柳川と僕が繋がっている証拠の糸を見つけたようでとてもうれしい。
当時の鞠は、こんな刺繍ではなく、ぐるぐる糸を巻きつけていろんな幾何学模様を描いていった。その模様は、僕を大いに悩ませ、糸の順序や独特の模様が織り成す世界に魅了された。それができる人はもういない。柳川鞠はロストテクノロジーになった。