か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 63

2020年01月20日 | 韓国

<前回の続き>毎月20日 提供

 

我らはゆがんだ教育によって、いわゆる乙巳条約と日韓合併が日本の強圧によって締結されたものであると思っているが、事実は全く異なる。日本と合併することのみが朝鮮の文明開化と近代化を達成することができる唯一の道であり最善の方案であるという点に対しては当時朝鮮ではまともな改革勢力の間に暗黙の合意が導き出されていたと思えるし、このような強い世論に支持されて日本は合法的に手続きを踏んで大韓帝国の統治権を接収したのだとみるのが妥当だ。

 

そのもっとも有力な証拠がまさに1904年に結成された日進会である。この団体は東学と独立協会が連合して朝鮮王朝と守旧反動勢力を打ち破り日本と連帯して文明開化という朝鮮革命の時代的課題を成し遂げるために結成された、わが歴史上最初の近代的な大衆政治組織だった。しかし、このような事実は韓国社会から徹底的に隠蔽されてしまい韓国政府は日進会に対し日本が少数親日派を集めて結成した御用似非団体程度に歪曲し学校でもそう教えている。

 

1904年初に始まった日露戦争で東学教徒たちは、孫秉熙(ソンビョンヒ)の指示を受け5万余名の兵力が参戦し日本とともに戦った。以後東学教徒と行商人たちは進歩会を結成し初年度には全国から38万の組織動員をしたのであり、以後名前を一進会に変え独立協会系列の開化人士たちと連合し日韓合併と開化啓蒙運動を展開した。ある時には100万を超える膨大な組織を持つに至った彼らは進んで黒い服を着て髪を短く切り見ためにもわかったので保守反動勢力の集中攻撃を浴びた。日進会は日本との合併を推進したしそれによって反革命勢力との内戦がおこり多くの日進会会員たちが殺され建物が破壊されめにるという犠牲を負わされた。今日韓国が日進会を親日団体だとして非難し反動暴徒たちを義兵だとして誉めたてていることは歴史をさかさまにみている誤りだとみてよい。


おのずと乙巳年(乙巳条約)、新協約の締結を進め朝鮮の初代統監になった伊藤博文は政治的にも財政的にも日本の負担になる朝鮮合併をけっして望まなかったのであり彼はただ日進会など朝鮮側の革命勢力に請願したのみだったが、安重根の伊藤殺害事件で日本の世論は急速に合併に傾くこととなった。だから安重根は自身が望まない結論に向かって努力したということになる。日進会は朝鮮の歴史上最大の革命勢力であり朝鮮総督府さえもこの力を恐れ合併以降強制的に解散させたほどの強力な朝鮮の政治勢力だった。


日本の統治によって朝鮮は大いに発展した。30年を超える期間、1000万にも満たなかった人口が2500万に増えたし平均寿命は24歳から45歳に伸びた。未開な農業社会だった朝鮮は短い期間で近代的な資本主義社会に変貌した。本土からは優秀な教師たちが赴任し朝鮮人を教育した。毎年日本政府からは膨大な資金が流入し各種社会基盤施設が建設された。1920年代には日本へのコメ輸出により朝鮮には豪農が出現した。それをもとにいわゆる民族資本というものが出現した。1920年代の朝鮮の文芸復興は日本と正確に同一の時期に始まったものであり今日、イグァンスとチェナムソンに始まりキムドンイン、イヒョシク、キムヨンラン、尹 東柱、ホンナムパなど私たちが記憶する多くの作家、芸術家が大部分この時期に登場した。

 

韓国人たちは日本のこのような貢献自体を認めようとしないでいるし、たとえ認めたとしても日本という外国勢力によってなされた他律的成果であるとしている。ただしく評価ではない。しかし、振り返ってみると朝鮮は人類歴史上唯一無二の儒教根本主義の社会であって、その儒教的流れの宗教観と厳格な今日のイスラム原理主義の類は比較の対象にすらなりそうにもない。したがって今日イスラム原理主義がイスラム社会に及ぼしている悪影響に対して少しでも考えが及ぶ人なら、朝鮮の儒教原理主義が外部武勢力の影響が排除された状態から自発的に消滅する可能性があったとはいわないだろう。

 

20世紀初めに外国勢力による改革、とりわけ日本帝国主義による徹底した清算作業がなかったなら今日朝鮮半島は前世紀のままの未開な地域の一つであるはずだ。であるから日帝時代は我々にとって幸運の時代であり祝福されるものである。ましてや思い出したくもない、認めたくもない不幸な過去であるはずがない。

 

 

<次回用メモ> 우리는 전후 한반도가 두개의 나라로 분단되었지만 から

        訳 © からけん


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