《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京よもやま話「借用書が語るもの」

2010年04月02日 | Weblog
写経の仕事に着ていた人の借用書が残されている。俸給生活者は借金をせざるをえなくなり、 当時写経一巻で4文から5文を得ていたが人が利率13%で1000文を借りて、16分の半の土地を担保等に入れ一ヶ月借り、なお期日が過ぎれば妻子等を売り払っても返しますと云う決意表明が記されている。 また息子3人や友達が保証人となっている。 貨幣社会に慣れてくるが借金をしなくては生活が出来なくなっている。ほとんどは返していたようだが、借金が返せなくなると生活が崩壊して逃げる。ローン社会と名前は変わったが現代とあまり変わりがなさそうである。しかし保険金目当ての殺人はなかっただろう。
(今日の歴史=896年農民が荒田などを占有したり、五位以上が私的に田を営むことを禁止する)

平城京よもやま話「貨幣と物価の話」

2010年04月01日 | Weblog
貨幣の発行は大事業のおりに発行している。平城宮の造営のための人件費をまかなうのに発行した本格的なお金は和同開珎。和同開珎は中国、渤海方面からも見つかっている。711年には公定価格が決まり、銭一文で、籾で六升、白米にすると三升位。成人男性の一日分の労賃は700円位で現在の時給より少ない。にせ金が出回り物価が上昇し、729年ごろには米一斗が20文だったが大仏が出来る頃には米一斗買うのに50文、天平宝字7年には物価高が最高になり一斗が100文にまでなる。
(今日の歴史=1893年上越線の碓氷峠のアプト式鉄道が開通)