《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔奈良名所「大仏と山田道安」

2018年03月31日 | Weblog

若宮外院末社の三十八所神社は明治以後、天神七代、地神五代、
神武天皇以下十四帝を祀るとされるが、本地仏が大日如来と金剛界三十七尊とされ、金
剛蔵王を中心とした吉野三十八所神であった可能性もある。
左脇に山田道安(戦国・織豊時代の画家・大和山田城主)の石燈籠(永禄5年)がある。
三好三人衆との合戦で鎌倉時代に再興された大仏殿は炎上、
翌年から大仏の頭部の応急修理を行ったのが「山田道安」だったが、
大仏殿の再興には及ばず、大仏殿は元禄・宝永の再興まで140年弱の間、露座のままだった。
鎌倉の大仏は1495年ごろから今に至る500年余り露座の大仏だ。

今日の暦:昭和45(1970)年、日本赤軍派が日航よど号を乗っ取る。


今昔奈良名所「確認できた橋は…」

2018年03月29日 | Weblog

水谷川を分流させ本社に引き込んだ御手洗川の流れが、榎本神社の東側で落ちる滝。
この流れに架かる橋が青龍橋また滝本橋とも呼ばれ三位橋とされる。
馬出橋を始め境内、ご本殿前の一位橋を含め8橋がある。

今日の暦:明治44(1911)年、日本初の女子や年少労働者を保護する法律
「工場法」、労働法が制定される。


今昔奈良名所「つんぼ春日の話」

2018年03月27日 | Weblog

本社廻廊に祀られる榎本神社は、耳の遠い春日の地主。
春日大明神がこの地に移ってきたとき、古くからの春日山の地主に
「この山を三尺ほど貸してほしい」と頼んだ。
耳の遠い山の主は「三尺四方」なら良いかと承諾をしたら、
春日大明神は「山全体を地下三尺までを借りたい」と言う話だった。
「その為春日野杉は地下三尺以上には根を張らない」らしい。
耳の遠い神様は氷室神社と言う話もある。
画像右最上部にある神前型石燈籠は文政12(1829)年の嗽楽初代(祐英)の作。


リニューアルオープンです

2018年03月25日 | Weblog

昨日世界遺産に登録されている平城宮跡の前で車が渋滞し停車。
朱雀門前には人、人、人で賑わっているのが見て取れた。
今朝の毎日新聞によると「県と国で整備、
平城宮跡の歴史公園として、リニューアルした。
朱雀門南の大路を復元、観光設備も新設された。
また、全長30㍍の遣唐使船も修理されて展示が始まった(抜粋)」とあった。

今日の暦:昭和昭和3(1927)年、明治11年にアーク燈が灯されたとされることから、
当時の日本電気協会の総会でこの日に定められた。