《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

ちょこっと松江城「予備知識として」

2019年02月27日 | Weblog

歴代藩主は、豊臣政権三中老の一人で堀尾吉晴氏が
慶長16年(1611年)の冬に完成城主⇒寛永11(1634)年、
京極忠高⇒寛永15(1638)年、松平氏と移り明治維新まで統治される。
ウイキペディアによると、天守は国宝指定された5城のうちの一つ
(犬山城、松本城、彦根城、姫路城)。
また桜100選に選ばれている。輪郭連郭複合式。
木造1607年築。鎌倉時代から戦国時代かけて、
この地に末次城(末次の土居)が置かれた。

今日の暦:昭和24(1949)年、国宝の松山城が放火で焼失。


地元有志の熱意で残った松江城跡

2019年02月26日 | Weblog

全国に現存する12天守の一つで、天守の平面規模では2番目、
高さでは3番目、古さでは5番目である。
昭和10年に国宝に指定され、昭和27年には国宝に再指定された。
明治の初め、全国の城の多くは取り壊されたが、
松江城天守は地元の豪農、勝部元右衛門(かつべもとうえもん)、
旧松江藩士高城権八(たかぎごんぱち)らの有志の奔走により
山陰で唯一保存され松江のシンボルとなった(パンフレットより)。

今日の暦:昭和43(1968)年、成田空港反対同盟が機動隊と衝突負傷者400名


江戸では大騒ぎ?

2019年02月25日 | Weblog

先週中ごろからテレビで、ペットとして飼われていたミミズクが逃げ、
住宅街のベランダに止まっている画像が見られる。
「ベンガルワシミミズク」と言う外来種だそうだ。
そして警察官も駆けつけ大騒ぎの様子。
こちらの画像は昨年5月末、富雄丸山古墳近くに飛来した
「アオバミミズク」と野鳥の会の方から聞いた。
追いかける「人間」も居なく、「ヒソ」と木の枝に止まっていた。

今日の暦:昭和22(1947)年、旧円と新円の交換が始まる。


予備知識・松江城の構造」

2019年02月23日 | Weblog

平成24年5月に発見された2枚の祈祷札から、
「慶長拾六年正月吉祥日」などの文字が確認され、
調査の結果、地階の2本の通し柱に打ち付けられていたことがわかり、
慶長16(1611)年正月以前であることが確実となり国宝化された。
築城主・堀尾忠晴、構造は複合式望楼型の四重五階天守、地下一階付。
1階床面積447.23㎡、高さ約30m(天守高さ22.43+石垣高約7.53m)
天守の構造上の特徴二階部分を貫く通し柱を効果的に配置するとともに、
上層部の重さを分散させながら、下層に伝える構造になっている。
長大な柱を用いることなく、上層になるほど平面が縮小する天守という
独特な構造建築を可能にした(パンフレットより)。

今日の暦:昭和19(1944)年、毎日新聞が「竹槍では間に合わぬ」の記事を記載。


今年最大の満月

2019年02月20日 | Weblog

今年最大のスーパームーンということで、
天気予報では「19日は見えないかも?」と言うことで
前日18日にベランダからコンデジカメラで撮影しておいた。
なにしろ住宅街、比較するのにふさわしい屋根もなく、
ケーブルテレビの復旧か、テレビアンテナもなく、
ただの満月の愚作。
tenki.jpによると「地球と月の距離によって月の大きさに変化が起きる。
今年の最も小さな満月は9月14日の予定とされており、
今回の満月は14%視直径が大きく、30%明るく見える」とあった。

今日の暦:昭和49(1974)年、ルパング島で小野田元少尉が発見される。