《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

奈良・高取城址4

2007年04月27日 | Weblog
幕末、天誅組がこの城を奪うという計画を知った高取藩は、坂道に竹の皮を並べて、それを踏んだ敵が滑って登れなくしようと云う計画があった(街道を行くより)。急峻な道を登って行くと苔むした石垣の中、十三間門、大手門へと続く。

奈良・高取城址3

2007年04月26日 | Weblog
家康は、薩摩・島津が京都に入って近畿を抑え、天皇を擁して幕府と対決するという、架空の状況においてその場合、大和の幕軍は郡山城を捨ててこの高取城にこもる戦略があった(街道を行くより)。杉木立に囲まれた屋敷跡の石垣。これら石垣に使われている石の中には飛鳥から持ち寄った石があるという。

奈良・高取城址1

2007年04月24日 | Weblog
飛鳥から国道169を南へ4キロほど行くと、高取町に入る。司馬遼太郎著「街道を行く」を読んだ時から気になっていた「高取城址」に行ってみた。急峻な山道を登ってゆくと観光用近道の木の階段があり、看板に「階段老朽化につき注意」とある。成るほど板はところどころ腐っていて危険。とは言っても他に道らしい道はなく、石垣を這い登ることも出来ず、今更と思いつつ一歩一歩注意して登った。

飛鳥の春「安住の地?」

2007年04月23日 | Weblog
飛鳥か明日香か?このアスカの語源は、三方を山に囲まれた平野と丘陵の入り組んだ土地。北の守りを厳重にしておくことで人々は安住できるところ「安住処(あすか)」から来ているという説がある。この土地に仏教伝来の時期より百数十年にわたる「政」の歴史がある。(マチュピチ、アスカ高原とは関係がなかった!