南禅寺参拝を終えると14時半。ひょっとしてと思い博物館へ戻ってみる。
朝の入館制限は「何処えやら」。
待つことなく入館でき、館内の混雑も差ほどではなく智積院から貸し出されていた
長谷川等伯の息子・久蔵の「桜図壁貼付」や、俵屋宗達の屏風「風神雷神」を始め
新潟県笹山遺跡出土の「縄文火焔型土器」、また長野県・縄文のビーナス、
山形県・縄文の女神とは久しぶりの対面(?)をした。
2時間余り鑑賞し、外に出ると夕日が傾きだしていた。
噴水の前で老夫婦が写真を撮られていた。
今までどのように過ごされてきたは知らないが
この先が本当の人生とみた。
日残りて昏に未だ遠し=藤沢周平「残日記」より。(完)
三門を出るとき二階から下を眺めている若い「娘」が目についた。
レンズを二人に向けるとポーズを取ってくれたので1枚。
京都を思い切り楽しんでください。
お蔭さんで当方は「To receive power」だ。
琵琶湖・大津市で取水され京都市内に向けて引かれた水路が、
南禅寺境内を通る「水道閣」。
この疎水工事は1885年に始まり1890年に竣工した。
時代が進み電力需要が増え、蹴上に明治24(1891)に
水力発電所が完成し運用を開始された。
観光客は三門、法堂よりこの水道閣を目当てに来ているようで、
ひっきりなしにそれぞれがポーズをとり、スナップ写真を撮っている。
そんな中で、途切れたその一瞬を待って一枚撮影。
しばらく前の関電のコマーシャル場所でもある。
明治42(1909)年に再建された法堂。
説明によると「床は一面の敷瓦となっております。
屋根は林立する巨大な欅の円柱に支えられ、
天井には今尾景年画伯畢生の大作と云われる幡龍(雲龍図)が描かれている」。
臨済禅黄檗HPによると
「龍は仏の教えをたすける八部衆の一つで龍神と呼ばれます。
そのため多くの本山では、
住職が上がって仏法を大衆に説く法堂(はっとう)の天井に龍 が描かれ、
それが法の雨(仏法の教え)を降らすという意味や、龍神が水を司る神であるため、
火災から護るという意味がこめられます」とある。
格子の間からカメラを差し込んで1枚失礼いたしました。
山門か三門なのかっ。寺の多くはかつて「山」にあったので「山門」と云われるが、
仏教修行の空門、無相門、無願門の「三解脱」を表すことから「三門」とも。
南禅寺の三門は日本三大門(南禅寺、知恩院、山梨県・久遠寺山門)の一つだそうな。
「現在の門は藤堂高虎が大坂夏の陣で倒れた将士の菩提を弔うために再建したものである」とある。
足元を見ると約390年も山門を支えてきた「しかめっ面の柱」が…。
歌舞伎・楼門五三桐の台詞、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな 春の眺めを
値千両とは小せえたとえこの五右衛門の眼には値万両、万両」と。