《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔奈良名所、ついでに「猪、鹿、銀杏」

2018年11月30日 | Weblog

二月堂裏参道沿い、東大寺大仏殿の裏(北西)にある大仏池。
池の西岸から見ると右に大仏殿、背後には春日山、若草山、御蓋山が並ぶ。
周辺は、ナンキンハゼ、イチョウ、カエデなどの紅葉する木が多く、
紅葉の穴場スポット。また、サギなどの水鳥も多く見かけ、
東岸のイチョウの木の下に鹿が集まっていることもがあり、
時折イノシシが出没することもあるので要注意とか。
(http://奈良観光.jp/daibutsuike/より抜粋)
猪、鹿、蝶ではなく「猪・鹿・銀杏」。

12月1日午後2時より、帝塚山大学2号館2101教室で
今昔奈良名所の著者・森下惠介氏の講座あり。申し込み不要。


今昔奈良名所「当時を偲ぶ静かな昼寝スポットかもっ」

2018年11月27日 | Weblog

大仏殿の北(背後)にある「講堂跡」。
松林の中に巨大な礎石が点在する。
多くの学窓たちが研鑽に励んだ講堂と、それを囲んで三面僧房があった所。
永正5(1508)年3月、講堂から出火した炎は三面僧坊に飛び火し、あたりは焼滅。
この火災のあとに講堂が再建されることはなかった。
観光客も入ってこなくて、礎石に座って東大寺大屋根で輝く鴟尾を見ながら
静かな一時を過ごすことが出来る。
12月1日午後2時より、帝塚山大学2号館2101教室で
今昔奈良名所の著者・森下惠介氏の講座あり。
申し込み不要。

今日の暦:昭和34(1959)年、日米安保改定阻止でデモ隊が国会構内に入る。


今昔奈良名所「破風造りの学校」

2018年11月23日 | Weblog

講堂・本館は破風造りの大屋根を持つ一寸珍しい純和風の、
寺院建築様式の奈良市公立・鼓阪小学校。
「鼓阪(つざか)」は元々「鼓坂」と書く。
もとの東大寺八幡宮、現在の手向山八幡神社では旧暦の9月3日に
「転害会」と呼ばれる祭礼が転害門を御旅所として行われてきた。
この転害会では転害門の東方、
正倉院方面へ登る緩やかな坂道が楽人奏楽の場所として利用され、
いつしか「鼓坂」と呼ばれるようになったとされる。
鎌倉時代になると「鼓坂」は現在の鼓阪小学校の校地にあたる、
東大寺尊勝院周辺の地名となった(Wikipediaより抜粋)。

今日の暦:昭和48(1963)年、通信衛星により
初の日米間テレビ宇宙中継の受信実験に成功するが、
ケネディー暗殺事件だった。


今昔奈良名所「三蔵(みつくら)」

2018年11月22日 | Weblog

正倉院宝庫のこと。東大寺の正倉で、勅封蔵として東大寺が管理していたが、
明治8(1875)年に、東大寺から内務省の管理下に置かれた。
その後、農商務省博物局を経て、明治17(1884)年、に宮内省の管轄となり、
明治41(1908)年、からは内務省が管轄する帝国博物館の管理となった。
現在は宮内庁正倉院事務所が正倉院宝庫および正倉院宝物を管理する。

今日の暦:昭和48(1963)年、ケネディ大統領がダラスで暗殺される。


今昔奈良名所「地名の名づけも色々」

2018年11月20日 | Weblog

戒壇院の南、水門町から押上町に抜ける通り。
上水門橋は比丘尼姿の怪異を見たというので、尼橋の名があった。
宝永元(1704)年の火災後、高慶上人が押上町に抜けられるようにし、
焼けて口が開いたというので、蛤辻子(はまぐりずし)と呼ばれた。
道が曲がる押上町との境にある弁天社は東大寺の寺外八興護神の一つとされ、
玄昉の胴塚の地ともいわれた。

今日の暦:昭和20(1945)年、ニュールンベルク国際軍事裁判が始まる。