《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

佐紀路を巡る「水源池・水上池」

2009年03月31日 | Weblog
平城旧跡北辺にある水源地、水上池より復元中の大極殿の覆い屋根を望む。この旧跡内のトイレは「水洗」であった。もちろん現在のような形のものではなかったがなかなか衛生管理も行き届いていたようである。ちなみに紙は高価なものであったので、木のヘラが使われていた。
(今日は何の日=1970年日本赤軍が日航よど号を乗っ取り北朝鮮へ)

佐紀路を巡る「平城宮北面大垣」

2009年03月27日 | Weblog
平城宮北端は道路案内も無いく住宅地の狭い道「L」字の道の交差する所にあった。案内板によると「平城宮は高さ5メートルの築地塀で囲まれていたが、遷都当時には建設が間に合わず、掘立て柱の塀であった」とある。遷都1300年際に向けて道標が必要かと思うが、住民にとっては迷惑な話かもしれない。
(今日は何の日=1939年NHKが有線によるテレビ実験放送を公開)

佐紀路を巡る「平城旧跡7」

2009年03月26日 | Weblog
平城旧跡内にある東院庭園北側のこんもりとした森の中にある小さな神社、宇奈多理神社という。日本書紀に持統天皇6年(692年)、新羅の調物(箏曲で、歌詞を伴わない楽曲)を菟名足社(うなたり)に奉じたと云う記述がありそれがここだとすれば平城京以前の古社と云うことになる。一説にはここが東院だとするのもあるとか?
(今日は何の日=1972年飛鳥・高松古墳で彩色壁画発見)

割込み旅メモ「春日大社お田植え神事8」

2009年03月25日 | Weblog
優雅さとユーモアを持ち合わせた平安時代から今日まで受け継がれたお田植神事。かつては「松苗」は見物人が持ち帰えって、田んぼの水口に害虫予防のお守りとし、またもみを袋に詰めた「福の種子」は招福開運のお守りとしてこの行事が市民と深く関わっていた時代があった。 《デジタルフォトブック公開中》 (完)
(今日は何の日=1878年日本最初のアーク灯がともされた)

割込み旅メモ「春日大社お田植え神事7」

2009年03月24日 | Weblog
古来1月8日以後の最初の申の日が式日だったが、明治5年から現在の日に行われるようになった。枚岡の神が春日の地へ神幸の途中、白毫寺の宅春日の地で松苗を用い、不作に悩む民を救われた古事に基づく神事だとか。<デジタルブック公開中>
(今日は何の日=741年聖武天皇が災害を除く為に各地に国分寺・国分尼寺の建立を命ずる)