《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

おのころ島探索「いつの世も権力者の「サガ」が…」

2017年03月31日 | Weblog

「淡路廃帝」とよばれる淳仁天皇の御陵。
758年に天皇に即位した淳仁天皇は、764年に孝謙上皇に対して反乱を起したと、
藤原仲麻呂とともに罪を問われ、皇位を奪われ淡路島に幽閉された。
765年に逃亡を企てたが捕まり、その翌日33歳の若さで亡くなった。
天皇陵の所在地について諸説あったが、1870(明治3)年この地に定められた。
権力者に何時も付いて回る「陰謀」は現代でもなお…


おのころ島探索「海には弱い≪河童≫の理由」

2017年03月30日 | Weblog

福良港・道の駅と共にある南あわじ市福良港。
鳴門の渦潮を間近で見ることができる、うずしおクールズ乗り場があり。
今も400トン級の帆船を模した「観潮船・咸臨丸」が観光客を乗せて出港。
小学生の頃、このような大型船ではなく、小さな漁船だったと思うが、
この渦潮観潮で船酔いをして苦しくて、二度と船には「乗るまいっ」と思った。
それがトラウマになっいて、いまになっても船は苦手な≪河童≫である。
向いには国指定の重要無形民俗文化財である淡路人形浄瑠璃の劇場がある。


おのころ島探索「入館料無料だが…」

2017年03月29日 | Weblog

期待して入館した「人形浄瑠璃資料館」。
人形浄瑠璃は伊弉諾、伊弉冉の子である「えびす」を祀る神事として始まった。
「室町時代末、西宮の戎社に仕えていた百太夫が、淡路・三条の地に来て人形操りを伝えたという。
これが淡路人形起源の伝説であり、資料館では、淡路人形発祥の地として、
多くの人に知っていただこうと市村六之丞座の一式全てをゆずり受けて展示。
江戸時代には阿波藩主の蜂須賀氏の保護もあって大いに繁栄し、
東北から九州にかけて全国に広く巡業し40以上の人形座もあった時期もありました。
しかし、その後しだいに減少し、現在、淡路島に残っているのは、市村六之丞座だけとなっている」とのこと。
訪れた時はほかに誰も居なく、人形浄瑠璃について、今一つ知らしめる努力が感じられなかった。


おのころ島探索「本家か元祖か…」

2017年03月28日 | Weblog

昭和57(1982)年に建立された高さ21.7㍍の真っ赤な大鳥居だ。ここが「自凝島(おのごろしま)神社」。
古事記に登場する国生みの神話の「おのころ島」だと伝承されていおり、イザナギ、イザナミの二神を祀っている。
境内の松葉は3本に分かれている珍しい縁起物とか。
オノコロ島は淡路島北端の絵島説がおおかただが、なぜこの内陸にあるのかについては、
縄文時代この辺りは海に浮かぶ小島の丘だったと云う説に由来すると云う。
もう一つ淡路島南南西約10㌔に浮かぶ「沼島」にも自凝島神社がある。
菓子屋などのように本家、元祖とならずに、ここはやはり「八百万の神」。
自凝島とは「自ら固まった島」と云うこと。


おのころ島探索「手植えでは、とてもとても…」

2017年03月27日 | Weblog

玉葱の生産量は北海道が全国生産量の約5割強を占めると云う。
北海道に続いて佐賀県、そして日本一美味しいと云われる淡路産の玉葱。
「年間の平均気温が16℃前後と温暖であり、土壌はミネラル成分が多く、また普通4ヶ月で栽培されるが、
淡路島では6~7ヶ月も手間暇かけて育て、自然乾燥するから甘くて柔らかい」だそうだ。
玉葱の植付も今は機械でする。嫁が運転、姑が苗の補給しながら綺麗な畝に息を合わせて玉葱の植付。
4月~5月ごろが新玉葱の食べ時とか。